◆海外旅行【Hats&aStick】2007~08

2008年11月23日 (日)

◆ロビン【Hats&aSticks】クロアチア

Rimg0166_7 ※写真はクリックで拡大します

冬鷗(かもめ)まだ陽をあびし老爺かな

晩鐘の鴨むつみおりセーヌ往く

襟立てる女だてらにジッポの火

  ※トレンチ・コートと風防ライター('60年代、米製、GI用品)

夜という外套を着て翔(か)ける恋

すき焼きのしらたきが好き十二月

                           与里

081123 屁眠狗雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月10日 (日)

◆ローマ【Hats&aStick】Caffe Greco

181

183_5 ※写真はクリックで拡大します

短夜やギョエテ潜みし Caffe Greco     与里

0806屁眠狗雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月29日 (日)

◆ローマ【Hats&aStick】フォロローマ

152 ※写真はクリックで拡大します

フォロロマーナ賑わいし昼芥子の花     与里

0806屁眠狗雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

◆北イタリア【Hats&aStick】ヴェニス

1_111_38 ※画像はクリックで拡大します 

嫣然とヴェネチアンマスク夏の月    与里

08.06.15屁眠狗  雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 1日 (日)

◆シチリア【Hats&aStick】チェファルー

307_10 ※写真はチェハル(シチリア)。クリックで拡大します

気散じや誰はばからん春の海     与里

0706屁眠狗雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 9日 (水)

◆ル・コルビュジェ【Hats&aStick】ロンシャン礼拝堂

Yor3_044_3_4 ※写真は皆クリックで拡大できます

 昨秋のフランス北東部への旅ではフランシュ・コンテ地方で近代史に名を残す二つの対照的な建築物を見る機会がありました。ロンシャンの礼拝堂(1955年、ル・コルビュジェ設計)とアルケスナンの王立製塩所(1778年、クロード・ニコラ・ルドゥ設計、世界遺産)です。

3  ル・コルビュジェは近代建築の三、四巨匠(+フランク・ロイド・ライト+ミース・ファン・デル・ローエ+&ヴァルター・グロピウス)に列せられ一般にも良く知られた建築家である。スイスで時計職人の父とピアノ教師の母との間に生まれ時計職人を育てる地元の装飾美術学校を卒業した。建築については大学などでの正規の教育は受けておらず、フランスのオーギュスト・ペレーやドイツのペーター・ベーレンスの建築事務所などに籍をおいて学びアカデミズムには無縁でした。

2  そんな彼が、①鉄筋コンクリート技術を活用した住宅 ②ピロティ・屋上庭園・自由な平面・水平連続窓・自由な立面など近代建築の五原則 ③公開空地などの都市計画理論(アテネ憲章)など、いわば時機を得た“モダニズム建築・都市”についての観念的提唱(原理)をタイミング良く連発することで建築家として出世し多くの傑作(住宅・公共建築物)をものする機会を得たのであります。

Photo  しかし彼の最も評価されるべき魅力は生まれながらにして備わった天才的な感性のもたらす激しい自己陶酔的な造形力にこそあると私は思っています。屈託の無い晩年になって何のてらいもなくその造形力を発揮して見せたのがロンシャンの礼拝堂(ノートルダム・デュ・オー)であり、絵画や彫刻なのでしょう。

 礼拝堂の在る空間に暫し佇んでみて、かつて私の青春時代の一時期を魅了し虜にして止まなかったものが何であったのか改めて想い興しまた確心したのでありました。

2_2  同じ日の午後遅くに立ち寄った整然とした半円形に幾何学展開したアルケスナンの王立製塩所はルイ16世の命を受けた啓蒙主義的夢想家(同製塩所総監督)が権力を後ろ盾にして為し遂げた見事なまでの純粋観念(原理主義)の代物ですが、それ以上の魅力には乏しいものでした。何故ならそこに立って見てその製塩所に働き、居住し、出入りする人々が謳歌する姿をどうしても想像できなかったのです。

 二人の建築家の例を引くまでもないでしょうが、人がその“動機付け”において築き上げて来た観念と磨き上げた感性のバランスを取るのも、その結果を他人が評価するのもどちらも難しいものがあります。これらの著名な二つの建築物を見学した日の終日に亘る心浮立つような好天振りは晩秋の北東フランスの崩れやすい天候下にあっては稀なことといいます。・・・ともあれ、その幸運をもって好しとすべきところでありました。

ロンシャン礼拝堂の赤色にコルビュジェの激しき陶酔見たり  

080109 屁眠狗雨詠

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年11月 5日 (月)

◆ジキルとハイド【Hats&aStick】アルザス

Yor2_135_3_4 オべルネ(アルザス)の葡萄祭り ※写真(上下)はクリックで拡大できます

アルザスや妻の赤ショール甦り   与里  

 この夏フル・リタイアして以来はかなり自適に過ごしつつある。旅行にしても“好きな時に好きな好きな所へ”行けるようになったのである。早速、フランス北東部への2週間のツアーに妻と参加した。シャンパーニュ、ロレーヌ、フランシュ・コンテ、ブルゴーニュの古都と村々の秋を巡るという触れ込みの旅であった。

 しかしいざ行って見ると、花より団子で少々遺憾ながらすこぶる美味しい毎日のワインと郷土料理に興味の大半を費やしてしまったのも収穫の季節を終えたばかりの豊かな土地への食いしん坊の訪問とあっては止むを得ないことであった。

 今度の旅のメンバーは60歳代の夫婦連れが大半の多士済々十数名であったが、喜寿最年長で奥様が今度のコースに関心がないため単独参加されたという老紳士が一人おられた。旅が始まって間もなくその見るからに華奢な身体つきの老紳士の尋常でない元気振りが他のメンバーの目を引き驚くところとなった。

 それというのも、その老紳士は愛用のビデオカメラを片時も離さず、訪問先では小道や小部屋や一寸した隙間に至る迄くまなく入りこみ、登れるところは丘といわず塔といわず誰よりも早く駆け上がって終始熱狂的な取材(?)に余念のないご様子で、バスの中でも居眠りしている姿なぞ誰も見た者がいないという人物であったのである。たまに地元名菓店などでお姿を見掛けることもあったがそれは日本に残った奥様からの特命品買付中の姿であったという。

 あまりのお元気さにその秘訣をご本人にお聴きしたところによれば、「・・・実は、・・・旅に出て成田の税関出国手続きが済むとたちまち・・・気分が高揚して身体全体に力がみなぎって来て青年時代に戻った様になるのです。

 ・・・やがて楽しかった旅が終わり成田の税関を抜け帰国する頃には先程までの自分が嘘の様に変わって、すっかり憂鬱な気分になって身体も何時しか萎えて元の老人に戻ってしまい駅の階段の上り下りさえも億劫になるのです。」

 ・・・また「私は海外旅行が大好きでこれまでに50回を超えてていると思いますが、不思議なことに、行き先がヨーロッパの時はアドレナリンの発生量が特に多いようでとても元気になり、行く先がアジアやアメリカなどの時はそれ程ではないのです。」

 「私は海外旅行が大好きで止められそうもありません。次回の旅行も既に予定しています。・・・何時の日か、何時の日かひょっとして私は旅先で死ぬことになるのかもしれませんね・・・。」と冗談とも半ば本音とも取れる言い回しに屈託のない微笑みを顔一杯に浮かべて話を終えられたのである。

 その話をお聞きしていてスティーヴンスンの小説「ジキル博士とハイド氏」の粗筋を思い出していた。そして今、私の目の前にいるその老紳士こそがエドワード・ハイド氏その者なのだと気付いたのであった。

 『そもそもわたしは長いあいだ学研生活の味気なさに堪えられずにいた。だから、知名度もあり世の尊敬まで集めている人物であるにもかかわらず、ときどき道を踏みはずしは歓楽にふけってきた。これはどう見ても冒涜的な享楽だ。年齢を重ねるにつれ、この矛盾に満ちた生活にますます堪えがたいものを感じるようになっていった。

 そして今この新たな力によって、悪の奴隷となる道を選んだのだ。すなわちこの薬を服用することによって、名のある医学者としての肉体を脱ぎ去り、代わってエドワード・ハイドという名の分厚い外套を着こんだ。』 夏来健次・訳 

 世間や家庭のしがらみから解き放たれたリバーシブルな人生の実践、もう一人の自分を演じることの魅惑。・・・人は皆、誰でもそれを望み、場合によっては虜になったもう一人の自分に余生を譲っても好い・・・と密かに思っているのかも知れませんね。

Yor2_115_3_2  今度の旅はそこそこの天気、美しい村々、美味しいワインに郷土料理、そして何よりも多士済々陽気なメンバーのお蔭で2週間ほどの愉快なハイド的人生を充分楽しむことができた。

 しかし未だに少しばかり腑に落ちぬ点は、これほどの名ワイン産地への旅にもかかわらず失礼ながら全くの下戸と思われる方々がメンバーに幾人かおられたことである。

 ・・・最もこの旅ならではの酒豪のワインマニアも多くその方々が彼・彼女らの分以上に飲んだことでこの地域に対する敬意は充分払ったことになるのであろう。

黄金の畝々大地成すブルゴーニュに晩鐘鳴るいざや喰らわん
                         
             秋朝

07.11.05.PM  屁眠狗雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月17日 (日)

◆シチリア【Hats&aStick】アグリジェント満月

2_112_12

写真はクリックで拡大します

思ひではまぼろしの如ゆるやかにアグリジェント満月に燃ゆ   秋朝

 宿泊したホテルの庭先の裸地から続く丘の上、それは明るすぎるフットライトにそれを造っている石材を在りようもない黄金色に際立たせて他には何も無い宵闇の中に忽然と浮かんでいた。6月上旬迄がシチリア観光のラストシーズンということもあって、昼間、おびただしい欧米系観光客達に混じって見学したばかりのドーリア式円柱のずんぐりとして重い素朴なギリシャ神殿遺跡の還俗した姿であった。

 その夜のアグリジェントは飛び切りの晴天で、時あたかも満天に星々を従えた満月が程好い高度に輝いていたこともあって、「せっかくのコンコルディア神殿(BC450)を夕食後の一時をテラスからフットライトなしの月明かり・星明かりだけで眺めていたかった」と思ったのは僕だけではなかったようだ。

 中世ビザンチン時代にキリスト教会として転用されていたことで保存されたという神殿はこの地方特有の赤褐色の柔らかい石灰岩で出来ており、かつては表面に白い漆喰が塗られ彩色されてギリシャ本土の大理石の神殿を模していたという。

 今はその漆喰もほとんど剥げ落ち赤褐色の石材が剥き出しになってボロボロに風化し輪郭の角が取れて、かつての神殿の粛然として瀟洒な風貌から瀟洒が欠落して素朴化してしまったものゝ、今もって“粛然とした感じ”が損なわれずに風格に底力があるのは流石ギリシャ建築というべきであろう。
                        
                  ◇

 
南西海岸に位置するアグリジェントへは北海岸のパレルモから内陸の山岳地帯越えに街に入ったのだが、車窓から見える街は変哲も無い中高層建築が多数目に付き、行き交う車の数も多く経済活動がいかにも活発な様相である。アグリジェントはパレルモと並び称されるマフィアの地として有名で行政と経済は彼等にすっかり牛耳られているという。

 『シルバーグレーの高級車が滑り込んできた。-中略- 黒っぽい服の男がトランクをあけ、白い背広とサングラスの男にアタッシュケースを渡した。それからまたトランクのなかに手を突っ込むと、鎖を引っ張り出し、鎖の先に付いていた手錠を自分の手にはめた。鎖は大きくふくらんだボストンバックと連結していた。

 ・・・現金だ、とぼくは反射的に思った。その瞬間、サングラスの男が顔をあげた。ぼくはすぐ窓のかげに身を引いたが、一瞬おそく、ぼくらの眼は合ってしまったのだ・・・。

 その夜、ぼくはホテルのレストランでほうれん草入りのオムレツを食べた。ところが、夜中に物凄い中毒症状を起こし、夜明けまで苦しんだ。同行の堀本氏も井上氏も元気なのに。-中略- ぼくは何か毒を盛られたのかもしれない。食中毒にやられるなんてぼくには珍しいことだから。』

 以上は、今回の旅を前にして読んだ故・辻邦生氏の紀行文「美しい夏の行方」中公文庫の抜粋である。アグリジェントでホテルの玄関のすぐ上にある部屋に泊まっていて玄関を何気なく見下ろしていた時に起こった氏の体験談である。

 ・・・たまたま、その日の僕と妻の部屋はホテルの玄関を見渡せるバルコニーに面した2階にあった。部屋に案内されてすぐに窓のカーテンを開けて我が部屋の位置関係が分かった瞬間、とっさに身構えてしまい「マフィアを見ずにすんだ」と思ったのはご愛嬌といったところか。

 ギリシャのあとにローマ、ビザンチン、イスラム、中世ノルマンの占領を受け入れて、それらの文化を次々と重層させて、決して排他的に先行文化を否定しなかったというシチリア人の“アイデンティティーの希薄さ”は良く知られており、シチリア人にとっては第二次世界大戦末期に米軍のイタリア上陸作戦を手引きした功績に乗じて台頭し増殖するマフィアの跋扈もわざわざ対峙して騒ぎ立てる程のことではないのかも知れぬ。

 「このシチリア人の“アイデンティティーの希薄さ”については彼の極東の島国の国民にも一脈通じるところがあるなぁ~」と心ならずも思ってしまうのは僕だけであろうか?

 07.06.17.PM  屁眠狗雨詠

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月28日 (日)

♠オックスフォードの守衛【じじぶつぶつ】ダンディズム団塊

 大寒も二候「沢の氷が厚くなる」という時節とはとても思えぬこの所の暖冬ぶりであるが、 ロンドンの地下鉄の初乗り運賃が今年に入って4ポンド(240円/ポンドで960円)に値上げされたというニュースもまた驚きである。

 それでなくともここ数年の一方的な為替レートの下落で対ドルで20%、対ユーロに至っては65%も目減りしてしまった円通貨は海外での使い勝手も年々悪くなっており、また国際的なインフレ対応にも不安が付きまとって気掛かりなことである。 

 06年以降のドル/円は114~122円と狭いレンジ(7%)の推移であるが、同期間のユーロ/円は140~157円(12%)と大幅な急落であり、タイ・バーツ、韓国ウオンなどのアジア通貨、豪州ドルやニュージランド・ドルに対しても一本調子の円安である。

 超低金利政策の硬直化で円と他国通貨との金利差が埋まらずむしろ開く展開で、借りた円を売って他国通貨で運用する「円キャリートレード」が資金運用のキーワードとなって、今や円は主要通貨から置き去りにされ最も弱い通貨となってしまったようである。

                          ◇

 今年60歳を迎える“団塊の世代”(1947~49年出生の2百万人)の話題が今メディアを賑わしている。65兆円とも言われる退職金の行方やその消費活動を巡ってシルバービジネスも沸き立っているようである。

 高度成長が始まる1960年代に青春真っ只中(中・高・大学生)であった彼等は、私の世代では未だ多少面映い対象であった“アイビーファッション(VAN)”、“みゆき族”、“ビートルズ”・・・などの新しい時代の息吹に違和感無く馴染んで一世を風靡させた世代である。その後、常に時代のマジョリティであった彼等が認知定着させるファッションに前後の世代は追従して来たものである。

060901_4_5  そんな彼等の定年後へのセールストークは私の世代の時とは異なり「さぁー背広を脱いで貴方の第二の人生を、ちょいワルに、“ダンディ”に決めてみましょう!」などと明るく、爽やかで、さばけた物言いのものが多い。

 もっとも“ダンディ”の占める比率と絶対数とが後にも先にも最も多かろう世代であることに異論はないが、良くも悪くも常に時代のうねりを形成する彼等の老境への突入がまたまた新しい風潮を定着させることとなるのであろう。

 英国で発生した“ダンディ”の正真正銘のお手本は、オックスフォード大学で皇太子兼摂政時代のジョージ4世の学友だったジョージ・ブライアン・ブランメルで、1790年代の中ごろから、寸鉄人を刺すようなウィットとファッション自慢で有名な名士の先駆者であった。※Wikipedia。そしてダンディズムは18世紀の終わりから19世紀に掛けてロンドンとパリを中心にヨーロッパ一帯の知識階層や芸術家達に流行した。

 シャルル・ボードレールいわく「ダンディという存在は、各人の内なる美という概念の洗練や、自らの情熱の充足や、感情や思考・・・のあり方に他ならならず、ダンディズムとは衣装や身体の優雅さにこの上ない喜びを覚えることをいう。完全なるダンディにとってこれらの事柄は、精神の貴族的な卓越性の象徴に過ぎないのである。」

◆写真は、先の夏の旅行で訪れたダンディズムの先駆者ブランメルの母校オックスフォード大学の守衛。ちなみに石津健介のVANはアメリカ東海岸名門大学グループ「アイビーリーグ」のニューイングランド風ファッションを標榜したものであり、そのルーツは英国である。※写真はクリックすると拡大します

 2007.01.28.AM   浪漫老翁乱

| | コメント (0) | トラックバック (0)