♠ひとり言【じじぶつぶつ】2007~8

2008年12月 7日 (日)

♠さようなら【じじぶつぶつ】冬かくれんぼ

051129_013_3_2 ※写真は山茶花(香林寺)クリックで拡大

◇早早とやって来た冬かくれんぼ隠れたままの君さようなら

◇いやいやと抗うように枯葉落ち静寂(しじま)する街いそぎ逝く友

◇寂しきは語らず独り黙せよと多弁なるまま逝きし目黒よ

◇今何時?もうお昼です時計塔シティに君の耀よいしとき

◇体格に合わせて贈りし記念椅子腰掛けみれば亡き師おぼえり

◇おりふしは笑みし遺影に囚われりモガのまなざし一回忌の母

◇義母(はは)逝きて半年(はんとせ)の過ぐ 三姉妹たむけし白百合の清けくて

◇弟の遺せし暦めくり来し師走こそ哀しけれ義妹(いもうと)

◇真夜中が記憶を揺する身の内に朽ちざらんものこそ愛しめよ

◇靴音のさざめき合いてゆく師走逝きし君影われに巣くえよ

                                   頼彦

081207 浪漫老翁乱

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2008年11月16日 (日)

♠ひとり言【じじぶつぶつ】Moneymarkets

079 ※写真はクリックで拡大します

◆檻に入れよとて市場原理主義すでに人喰いし後 It’s too Late

◆『未だはもう』恐怖と不安くりかえし金融危機とうもの沸騰す

◆『もうは未だ』毀損せしもの幾重にも滅ぶ定めか Moneymarkets

◆後鳴りのよみがえり来て落胆と気休めの中間(あわい)彷徨いたり

◆「私とは一個の他人です」冬鷗飛んで飛んで飛んで止みしとき

◆人の世のすさびあらぶるは常ならん蝶よ勝手に飛んでいなさい

                              頼彦

081116  浪漫老翁乱

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2008年10月19日 (日)

♠ひとり言【じじぶつぶつ】エチュード

Rimg0023 ※写真はブレッド湖(スロベニア)。クリックで拡大します

◆サティ聴く「お喋り女」とボンボンといよよ明けし窓の月影

◆媼の上熟れたる一つ石榴の実アルベロベッロを燕飛ぶ影

  ※アルベロベッロ:円錐形の石屋根と白壁の続く南伊の小村

◆通草の実「ほろり」と割れて性懲りもない僕と君とがいる朝

昨夜の嘘ぶら下げており烏瓜黙しおりても済みにしものを

                                          頼彦

081019 浪漫老翁乱

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2008年9月21日 (日)

♠秋【じじぶつぶつ】ぎくっり腰徒然

262_6 ※写真はシチリア・パレルモの市場、クリックで拡大します

顔洗いぎっくり腰を発症すこれはテロルか魔女の一撃

横臥せし日々長引きて不精髭いよいよ白きにわれは驚く

わが鏡影にカイゼル髭の祖父浮かぶいっそ伸ばさんや無精髭

髭面の祖父憑依(ひょうい)せし鏡中に己が髭面手入れしてみる

決着を付けねばなるまいチョビどじょうカイゼル髭か明日は歌会

バーバーチェアー拷問台なれば蓬髪も無精髭もぎくり腰ゆえ

蓬髪と無精髭とステッキのわがペガサスはまだ翔けたがり

                                   頼彦

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2008年7月27日 (日)

♠挽歌【じじぶつぶつ】義母・恩師

Rimg0012 ※写真はクリックで拡大します

◆朝に恩師夕べ義母逝く短夜の月わが上にも清かかりけり

◆畢生の理念(イデー)書き終えし夜明けなる「もっと酸素を」と恩師逝きけり

◆旅先のサンマリーノにて義母想う持ち堪えしとう消息

◆炎帝の焼きし墳墓に遺骨(ほね)納む喪服の妻の足ギプス

                                  頼彦

0806浪漫老翁乱

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2008年4月27日 (日)

♠おとうと【じじぶつぶつ】挽歌

05_3 ※写真は修廣寺(片平)の白梅。クリックで拡大します

◆人工呼吸器(レスピレーター)忙しげなるも脳死せし弟眠るがごと安らか

◆人生を回路ショートに頓死せし弟の骨拾う梅は咲き初む

◆彼の世にて叱られおらん亡き母を三月で追いし弟四十九日

◆弟の愛でし鸚鵡を刻みたる新しき墓桜木の下

                               頼彦

080427浪漫老翁乱

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2008年2月14日 (木)

♤渋谷道玄坂【定点観測】M氏の泥団子

Rimg0016jpg_2_6 ※写真はクリックで拡大します

 私は地方高校の卒業生であるが同級生の首都圏在住者が二ヶ月に一度決められた曜日の夜に集まって来る小料理屋が渋谷の道玄坂にある。オーナーが同級生と言うこともあって其処での同級会はもう二十数年来の
慣習となっている。

     

 人生は其々に悲喜交々・紆余曲折があって集まる同級生もその時々に変遷して来たが、流石に齢六十の半ばを過ぎる頃ともなると首都圏定着組の中で出席する顔ぶれもほぼ定まって気のおけない10人足らずの肩肘張らない集まりとなった。

     

 今月の例会でのこと、かつての謹厳実直を引きずって未だ眼光鋭く好々爺とは程遠い風貌のM氏が皆より少し遅れて忙しげに店に入って来て席に付く間ももどかしげに「これが何だか分るかね?」とおもむろにバッグから取り出して見せたものがあった。

     

 直径にして5~6cm程の明るい茶色の球体は、一見して良く磨き込んだ “玉”で出来た中国の※健身球の様なものに見えた。ところが、手に取って見るとこれが意外に軽く指の爪で弾くと乾いた音がする。                

                 

(※健身球:掌中で二つの球を回し転がして行う健康法に使う玉石や金属の球。私も持っていて時々使っている)

     

                       

石ではなくプラスティックだったのか」と思ったが何に使うものかが分からない。

     

 周りを見ると其れが何かを既に知っている連中はニヤニヤして見ているだけで助け舟を出そうとしない。どうせ際物のおもちゃの類だろうと私は床にそれを弾ませてみようとした。

                                

 

そんなことをしたら壊れてしまうよ!とM氏はあわてた様子で私からその球を取り上げた。

    

これは俺が自分で作ったんだよ、・・・それも長い時間を掛けて、・・・と両掌に包んだその球をさも愛おしげに撫で摩りながらM氏が言う。

     

ほう、こんな精密なものを君が作れるとはねー、・・・ところでこのプラスティックの球は何に使うんだい?と私。

     

それはプラスティックじゃあないんだよ、・・・どろ、泥なんだよ、泥」とM氏。

    

えーー、ホンとかね・・・信じられない、信じられないなと私。

    

     

泥がこんな風になるとは思えない。泥とは言っても特殊な泥なんだろう?改めて見ればその色はともかく、木目細かく艶々した表面はやはりとても泥には見えない。

  

・・・それがまあ、普通の泥なんだ、・・・ごく普通のね」とM氏はやおらヒソヒソ声になり手許の球に視線を落として講釈を始めた。

    

・・・・・・

   

泥団子、泥団子なんだよ、普通の泥と普通の水だけで作った普通の泥団子だよ。・・・で別に何かの役に立つと言うものではないんだがね

    

・・・・・・

    

これって、・・・普通の泥団子なんだけど作るのは大変なんだ。土を選び、水を加えよく揉んで空気を抜いて、団子にする、そして乾燥させながら徐々に徐々に真球に整える。・・・その後完全に乾燥するのを待って磨いて磨いてみがき抜くようにしてて艶出しをするんだ。

                

           

 ・・・それらの工程のどれもがごく単純なんだが、やり直しが効かずその方法もそれぞれ実に奥が深いんだよ

             

           

 「それにね、かなりの集中力が要るんだよ、それも長時間の集中力が・・・そしてこいつが出来上ったんだ。俺の場合はたっぷり一ヶ月は掛かった。・・・もう二度と作る気はしないがね

     

 
M氏は説明を終えると同時に音にならない小さな溜息を付いた。そしてやや間を置いてから、あたかも最愛のペットでも扱っているかのような慎重な手付きでその泥団子を再び私の前に差し出した。

 私はさっきまでのそれと較べて一段と輝きを増したように見えるその球をまたマジマジと見やることとなった


 『ひと時が経って見上げるとそこにはもうM氏の姿は無く、・・・再び目を戻した先にある件(くだん)の泥団子が私の視線を待っていたかの様に突然少しだけ転がって、停まり、フッと温もったように見えた。・・・それは権化したM氏そのもののようであった。
、、、』 

                                                                                                     

 などとと書きたくなってしまうのも仕方がないと思われる程にその時のM氏は恍惚たるもので溢れていたのである。この夜のM氏が提供した静かな驚き、一度開いた口を閉めるのを忘れてしまうようなこの種の珍なる驚きはそうそうあるものではない。

   

 長年月を無事務め挙げて定年退職した男がやおら、蕎麦打ちや料理などに血道を挙げて周囲の秘かなヒンシュクを買っているという話はよく聞く所である。

  

 M氏が食べられもしない泥団子物作りに熱中し精も根も尽き果てんばかりに打ち込んで一ヶ月も費やしたしたと言う事実はバカバカしさ(失礼)を通り越して、何やら哲学的な趣向さえ感じ取ってしまったのはその場で私だけではなかったようである。

  

 M氏はきっと禅僧が座禅して無我の境地を求めんとする如く俗事から暫し距離をとって件(くだん)の泥団子作りに一心不乱に励んだのであろう。長講釈を終えた後に彼が浮かべたテレ笑がそのことを物語っているようであった。

   

 そして、成程成程と納得してしまいそうな自分が居ることに気付いたのでした。・・・この様なことはきっと年取った男がしたがることの一つなのでしょう。四捨五入すれば70歳にもなろうと言うのに己の存在に自信が持てず尚確かめようとする男の性(さが)とは何と哀しいものか。

   

 こんなことを女性がしたとか、したいと言う話は未だ聞いたことがありません。『女人に悟りは必要無い、何故ならば女人といふ存在は生まれた時から既に悟っている者なのだ』、『女は生命の本流、男はその添え物』と誰かが言っていました、・・・か?

    

      

六十うん歳の身命大袈裟に捧ぐる友あり泥団子

   (※身命:しんみょう) 

      

日干し煉瓦の成分+魂一心に揉みこんで泥団子   秋朝   

         

 さて話は飛ぶがその後日のこと“泥団子”でネット検索したところその種のマニアのホームページが結構存在することに改めて驚いた次第である。人の世は想いも及ばぬ程の拡がりがあって、それこそ奥の深いものである。

080214.浪漫老翁乱

                                

                                      

 

       

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2008年1月30日 (水)

♠寒月【じじぶつぶつ】ゲーテ

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ゲーテ読む時昇りくる寒月の「ならばよし陽はわが背にあれ!」と                                   秋朝 
  

 この冬は寒(1/52/4)の入り前後からこの所にかけて文字通り寒波が居すわって気温の低い日が緩みなく続き近年にない寒さを感じます。  
 地球温暖化や一月の季語にある「三寒四温」(冬の日は、三日寒い日が続いたと思えば四日は温かい日がある、といったように寒暖の変化が数日おきにやって来る)など、どこ吹く風の体であります。

 拙宅は多磨丘陵の南端で南南西を望む高台にあります。南方の伊豆・箱根の山々、正面の大山を突端に連なる丹沢山、蛭ヶ岳、大室山などの丹沢山塊とその上の富士の頂、西寄りの高尾・陣馬・三頭・大獄などの奥多摩の山並み、その奥の国師・金峰・雲取・甲武信など拙宅から見えるこれらの峰々の殆どがこの所は雪を被って凍り付いています。

 この節季、夜出番が来て東空に昇って来る時の寒月は満を持して胸に秘めていた闘志を一挙に発散するかのような勢いがあります。満天に侍する星々を次々に従えて自信に満ちた足取りで中天に懸かって地上を睥睨する頃ともなればその凛々しさは崇高でさえあります。

 そして夜も更け過ぎて早暁の時、最も暗く深閑として冴え切る西方の空に懸かって静かに浮かぶ孤高の寒月もまた見る者の心を打つ美しさがあります。

 やがて曙を迎え昇り来る太陽の光と鬩ぎ合う時、何時しかそれまで付き従っていた幾数の星々もその姿を消してしまい、丹沢・富士・奥多磨の凍り付いた峰々を辿るようにして西空に沈んで行く寒月の悄然として次第に薄らぎ朧いでゆく姿には噛殺しているかのような寂寞を感じることとなります。

 一般に月は秋が好いと言いますが、大気冴え天澄みわたる節季にあって歓・喜・静・寂のどのシーンにも品格ある佇まいを見せる冬の月も中々どうして捨て難いものがありましょう。



※短歌:ゲーテ「ファウスト」柴田翔・訳 、第二場第一幕より

08.01.31.AM 浪漫老翁乱

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2007年9月 2日 (日)

♤丸の内~大手町【定点観測】夏終る

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  (写真はこの夏、東京駅丸の内中央口より見た両丸ビル・・・クリックすると拡大します)

 この夏、私は丁度設立12周年を迎えたばかりのその会社を辞しました。私はその社史の約半分程、あたかも小泉政権(2001春~2006秋)、丸ビル竣工(2002夏)~新丸ビル竣工(2007春)などとほぼ時を同じくする日本経済の再活性期を其処で過ごさせて頂きました。

 その会社設立の1995年は、サッチャーが仕掛けレーガンが追従した「市場原理主義経済」が米財務長官ルービンによって制度化され世界普及が図られた歴史的エッポック年であります。その意味では正に時を得て時代の先端を行くべく設立された“時代の申し子”とも言うべき会社でありました。 

 私は前の職場で日本経済のバブル崩壊に続く収縮と停滞に遭遇してそれなりの苦労を経験しました。そして、そのことの理解も消化不良のままに退職したのですが、引き続き還暦後も前線に職を得たことで「日本や世界経済の動向」のその後から現在に至るストーリーを私なりに追い続けることが出来たことは幸いでした。

 今度その会社から退くに当って、謂わば一寸した“卒業メモ”のつもりで、その間に見聞きし読んだことの中から私の腑に落ちた事象を基に整理したのが前回の拙文でありました。

 ♥グローバリゼーション【じじぶつぶつ】老後の始末 
 http://jibutu.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_78f7.html 
                
 上記メモを記した後、こともあろうに米国のサブプライムローン問題による“世界同時株安”の発生があってテンヤワンヤの昨今ですが、大陸・大洋の山谷・河川・風雨・波浪が島国・湖水のそれより遥かに大きく険しいという理の如く、世界化した金融経済の波乱の程も経験を超えるものがあるようです。
 
 急速な普及・成長を続け、リスク取りに行かねば置いてゆかれる“グローバル化市場主義経済”に組み込まれて、比較劣後し続ける様であれば日本の将来はありません。競争せずに座していては、それこそ日本と日本人の未来に「何時何が起こっても不思議ではないリスク」を抱え込むことになるのでありましょう。

 好き時代の先輩諸氏の老後は「満々と溢れんばかりにお湯を張った湯船に首まで浸かって、来し方を懐かしみ、行く方の西方浄土に微塵も疑いを持たず、今日の平穏と安寧を楽しむ」というものであったでしょうが、私の世代の老後となっては、気が付けば「何時の日か湯船のお湯が冷め、また減ってしまう」ことを常に恐れながら余命を過ごさねばならぬ様であります。・・・クワバラ、クワバラ

 私もこれで晴れて紛れも無く“無職・泡沫人”と相成りました。今後は先輩諸兄姉を見習ってより自適に有意義(?)な時間を過ごしたいものと思っています。在職中の関係諸兄姉のご厚誼のほどに感謝申し上げます。

夏終るうたかたのごと我のおり  与里


※丸の内~大手町【定点観測】は今回で終ります。

070902 浪漫老翁乱

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2007年8月 4日 (土)

♠グローバリゼーション【じじぶつぶつ】老後の始末

025_2_12 ’0609ロンドン。市場原理主義のシンボル?由緒ある古い街並みも何のその、にょっきりと“それ”をおっ立てて見せるところは流石、今をときめく金融大国・英国の勢いを感じます。(“それ”はクリックすると拡大します)


 
長期間の経済停滞で行き詰った前覇権国家英国の首相・鉄の女サッチャーが導入し、現覇権国家米国の大統領レーガンが追従した「市場原理主義経済」。

 1995年は、米国政府(ルービン財務長官)の明確な意図の下に「資本の移動によって、動かされ、形づくられる“グローバル化市場主義経済”」が構築されて、実物経済が終わり、米国主導の金融経済時代の幕開けを画する年であったという。

 時あたかも、世界はソ連邦の崩壊で東西冷戦が終結しユーロ圏の成立があった。また技術面ではパソコンの一般普及を可能にした画期的なITソフト(マイクロソフト・ウインドウズ)が売り出された。冷戦の終結は軍事費等の急速な縮小による巨額な金余りを生み、共産圏の枠組みの崩壊は一定の教育水準を持った膨大な数の労働力の市場経済への開放を伴った。

 時も味方して、米国が意欲的に推進した「統一世界市場化戦術(※1)と時を同じくするITの驚異的な進化」が効を奏することとなり、世界の余剰資金は金融技術で優位に立つ米・英に還流して世界最高水準の国民消費を支え、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)、更にはVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)等の新興国に再投資される仕組みが出来上がった。

※1:IMF(国際通貨基金)やFTA(自由貿易協定)他を駆使した金融・貿易面での税・会計基準の各国への押し付け→統一世界市場形成のファンダメンタルズの構築

 準備を整えた強大な狩人達(資本・金融力)の前に世界中の手付かずで膨大な数の獲物達(労働力・生産資材・需要)が一斉に開放されることになったという訳である。それはちょうど100年ほど前の東部アフリカ・サファリの何でもありの狩猟天国とでもいえましょうか。

                      ◆

 その結果、世界の金融資産(現在150兆ドル)は今や世界のGDPの3倍へ急成長(10年前は2倍、資産インフレ?)しており、世界の金融取引額(775兆ドル/年)も実物取引額(貿易取引額、9.3兆ドル/年)の実に80倍(過剰流動?)に上るという。 

 1997年に成長に転じた世界経済は、今世紀に入ってからは世界地域同時成長を続けており世界のGDP成長率(※2)も5%前後(15年で倍増のペース)を維持して、今後しばらくはこの傾向が続くという。

※2.主要国成長率:日やっと2.2%へ、米3.3%、独2.7%、英2.7%、豪2.7%、韓5.0%、中10.7%、印9.2%、露6.7%、伯(ブラジル)3.7%

 今や“グローバル化市場主義経済”は文字通りに世界全域に拡がりつつあり、人・物・金を次々に加入してくる新興国が市場補完し合うことで需給バランスの維持が常に可能な状態にある。そして、このことが長期に亘る世界同時成長の理由であるという。

 そして当初の思惑超える現象として、EU(ユーロ経済圏)や急成長する中国・インドなど巨大な人口を擁する歴史大国の急速な復活・台頭があって、“グローバル化市場主義経済”は米国(+英国)の一極支配体制から実態としてはも早や多極支配体制に変りつつある。

                      ◆

 国家経済での景気の循環(景気の山~山、谷~谷の期間)は数年~10年未満であった。しかし、国境を越えて拡がってしまった“グローバル化市場主義経済”は前回の景気の底(谷)からの成長開始後10年が経った今も未だ谷はおろか山(頂上)も見えない。

 国家経済に比べて“グローバル化市場主義経済”の景気循環はより長いものとなりそうであるが、その予測は難しく、懐を深くする多極化が一方で複雑化も伴って、その性向の経済学的把握はとても出来ないという。

 資本のある所から無い所への資本投下が効率的に出来るようになったことで、新興国の貧しい大勢の人々に豊かさへの道筋が開かれ、先進国の有り余る資産も此れまでより高率運用が可能ということで文字通り地球規模に急速普及し始めた“グローバル化市場主義経済”から我々はもう簡単には後戻りできない。

 ちなみにバブル崩壊後の日本は、政治家も経済人も世界的な視野を持てず“失われた10余年”が象徴する無気力で不作為な時を過ごしてしまい、“グローバル化市場主義経済”への対応が遅れてしまった。しかし一部の企業や個人の参加は始まっており、資本(年金・保険・国民資産の運用資金)の提供者としては日本も日本人も遅ればせながら色濃くこの経済に組み込まれつつある。 

                      ◆

 “グローバル化市場主義経済”はこの10年の継続的生長期間中に一部の先鋭的なヘッジファンド(※3)の破綻やITバブルの崩壊などで景気崩壊への危機がありましたが、幸いなことに小規模な変動に抑えることが出来て中長期的な成長基調に変化はなかった。

※3.ヘッジファンド:大きくレバレッジ(梃子の作用:元本の何倍、何十倍もの借入金の投入など)・M&A・・・など先進的な投資技術を駆使するハイリスク・ハイリターンの冒険的な私慕ファンド。

 しかし、世界GDPの3倍の金融資産(資産インフレ?)が実体経済の80倍もの金融取引(過剰流動性?)を行って成り立っている仕組みそのものに「何時何が起こっても不思議でないリスク(※4)」が常在することは投資側では「百も承知の上」という。

※4.:世界中で現在1万本、200兆円が設定されているというヘッジファンドを始めとする膨大なリスク資金の一部の破綻が引き金となって、世界中で逆レバレッジを伴う急速な投資資金の引き上げの連鎖が起こって世界中の市場で急速・大規模な相場の瓦解・縮小が発生することなど。 

                      ◆
 
 今日現在の為替(政策金利)は、118.00円/ドル、162円/ユーロ、(日本0.50%、米国5.25%、EU4.00%)である。この数日、円高となったとはいえ、長年水面下成長の泣かず飛ばずであった日本のGDP成長率が直近になってプラスに転じたのは長年のデフレと著しい円安進行よるもので、日本経済が総体的に成長軌道に乗った訳ではない。

 何時までたっても先の展望が開けない日本経済を見限った資本の継続的海外流出が止まらないことによる円価の下落は激しいものがある。米・欧・豪州通貨には無論のことアジアなど新興国通貨に対しても一人負けの体たらくである。

 ロンドンの地下鉄初乗り運賃が1000円、ベルリンのマックが830円、パリのスタバ・コーヒーが510円、韓国⇔日本の観光客数の逆転、韓国から日本への買出しツアーの大流行・・・など、昨今の報道が伝える円貨購買力は2、3等国通貨並となってしまった。

 見方を変えれば、海外の物品・サービスに対して円は既に著しいインフレ通貨となっているのである。発展する新興国家の旺盛な需要で、ここ数年で3倍となった原油価格を筆頭に食料・工業資源の高騰が始まった・・・いずれ日本は輸入を切っ掛けとした急速なインフレの進行を避けられないことになるであろう。

                      ◆

 急成長を続ける“グローバル化市場主義経済”に否応なく組み込まれ、その荒波に翻弄され、さらに比較劣後し続ける様であれば日本の将来は無い。このままでは、それこそ日本と日本人の未来に「何時何が起こっても不思議ではないリスク(※5)」があるのである。

※5:リスクの最大のポイントは、“グローバル化市場主義経済”が派生するデメリットの多くが国家単位では解決できないことである。(国際的な管理・コントロールの仕組み作りが急務)

 ①国境を超えて連鎖・跋扈する巨大金融経済を適切に管理・コント
   ロールが出来るか→突然の市場瓦解、資産バブルの崩壊、金
   融テロ・・・など

 ②フラット化する労働市場・地域→大競争社会→協調から反目へ
   既に企業間では激烈な競争が起きているが、連邦国家、国家、
   
都市、地域、個人・・・あらゆる領域間で勝ち負けを峻別する激
   しい競争

 ③価値観の世界均質化の進展→独自性の欠落→地域性社会の
   弱体化
 ③格差の拡大による社会秩序破壊→治安の悪化・政情の不安
   定化
 ④環境の急速な悪化

           ・
           ・
           ・

 もうやり直しの効かない歳に差し掛かった私の世代が恐れているのは、日本が低成長・超低金利・円安・デフレ基調を脱することも出来ず、海外資本の導入も望めないまま無為な時を過せば、激しく躍動し成長し続ける世界から更に比較劣後し続けて、デフレはやがてインフレに転じ、老後に備えた蓄えが早々と目減りして底を突いてしまう日が来ることである。

 ※日本の先行を懸念して、既に企業はもちろん一部の個人がその金融資産を海外金融機関の口座に移し替え始めている例を私は身近に知っている。

 好き時代の先輩諸氏の老後は「満々と溢れんばかりにお湯を張った湯船に浸かって、来し方を懐かしみ、行く方の西方浄土に微塵も疑いを持たず、今日の平穏と安寧を楽しむ」ものであったであろうが、私の世代の老後となっては、湯船のお湯が何時しか冷め、また減ってしまうことを常に心配せねばならぬ時代となったようである。


2007.08.04 pm 浪漫老翁乱

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2007年2月13日 (火)

♠Youth【じじぶつぶつ】クレマン・ブルゴーニュの一時

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※写真はクリックすると拡大します


暖冬や金の成る木に花が咲き   与里
 ※添付写真は、植えてから十数年経って初めて咲いた我家のカネノナルキの“花”。

         ◇             

 「地中で虫が動き始め、鶯が鳴き始める」という立春二候の先の休日のこと。程好く装い、未だかくしゃくとして充分に軽やかな足どりで地上47階のクラブの一室に集まった5人の退役紳士達の午後は、シャンパーニュならぬブルゴーニュ産のスパークリング・ワイン(クレマン・ブルゴーニュ)を供に始まったフレンチのフルコースランチを舞台に、広範・闊達でありながら自制の効いた話題と、洗練されて時宜を得た諧謔とが醸成するこの上もなく愉快で上質な一時であった。

 それは、あたかもジュールヴェルヌの「八十日間世界一周」のロンドン・ベルヌ街の彼のフィリアス・フォッグの通う「革新クラブ」や「退役将校クラブ」の会員諸氏の会食風景を彷彿させるもので、「与えられた人生が遭遇せねばならぬあらゆる場面で、常に勇気を失わずに立ち向かうことの出来る気力に満ちた紳士達の呼応する時間帯」でもあった。

 この昼食会は、同期の4分の1が首都圏在住という地方の大学の附属中学校の同期生がメンバーで、何年振りかで開催された昨年暮れの首都圏同期会で懐かしさを募らせて、引き続き「会おう」ということになって今年になって開催したものである。未だに現役を張っている者もいるが、流石に60台も半ばを過ぎた年齢に差し掛かって退役者が増え、これから邂逅の機会を増やそうとしている所である。

 予定した3時間は瞬く間に過ぎて、地上での別れの握手に力が入って、人混みに夫々消えていく朋達の後姿が3時間前より高揚して若返ったように見えたのは、先程までの彼等との邂逅で夫々の人生経験に裏打ちされた見識や将来への旺盛な好奇心を競い合った所為であったと納得した。その時、ふと、あのサムエル・ウルマン(1840~1924)の詩「YOUTH」を心の内で思い起こしていたのは、このメンバーの中で私だけではあるまい。

         ◆

 青春とは 真の 青春とは
 
 若き 肉体のなかに あるのではなく

 若き 精神のなかにこそ ある

 薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体

 そういうものは たいした問題ではない

 問題にすべきは つよい意思

 ゆたかな想像力 もえあがる情熱

 そういうものが あるか ないか

 こんこんと湧きでる 泉のように

 あなたの精神は

 今日も新鮮だろうか

 いきいきしているだろうか

 臆病な精神のなかに

 青春はない

 大いなる愛のために発揮される

 勇気と冒険心のなかにこそ

 青春はある

 ・・・

 ※「Youth」サムエル・ウルマン、新井満 訳 

 2007.02.12.PM 浪漫老翁乱

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2007年1月28日 (日)

♠オックスフォードの守衛【じじぶつぶつ】ダンディズム団塊

 大寒も二候「沢の氷が厚くなる」という時節とはとても思えぬこの所の暖冬ぶりであるが、 ロンドンの地下鉄の初乗り運賃が今年に入って4ポンド(240円/ポンドで960円)に値上げされたというニュースもまた驚きである。

 それでなくともここ数年の一方的な為替レートの下落で対ドルで20%、対ユーロに至っては65%も目減りしてしまった円通貨は海外での使い勝手も年々悪くなっており、また国際的なインフレ対応にも不安が付きまとって気掛かりなことである。 

 06年以降のドル/円は114~122円と狭いレンジ(7%)の推移であるが、同期間のユーロ/円は140~157円(12%)と大幅な急落であり、タイ・バーツ、韓国ウオンなどのアジア通貨、豪州ドルやニュージランド・ドルに対しても一本調子の円安である。

 超低金利政策の硬直化で円と他国通貨との金利差が埋まらずむしろ開く展開で、借りた円を売って他国通貨で運用する「円キャリートレード」が資金運用のキーワードとなって、今や円は主要通貨から置き去りにされ最も弱い通貨となってしまったようである。

                          ◇

 今年60歳を迎える“団塊の世代”(1947~49年出生の2百万人)の話題が今メディアを賑わしている。65兆円とも言われる退職金の行方やその消費活動を巡ってシルバービジネスも沸き立っているようである。

 高度成長が始まる1960年代に青春真っ只中(中・高・大学生)であった彼等は、私の世代では未だ多少面映い対象であった“アイビーファッション(VAN)”、“みゆき族”、“ビートルズ”・・・などの新しい時代の息吹に違和感無く馴染んで一世を風靡させた世代である。その後、常に時代のマジョリティであった彼等が認知定着させるファッションに前後の世代は追従して来たものである。

060901_4_5  そんな彼等の定年後へのセールストークは私の世代の時とは異なり「さぁー背広を脱いで貴方の第二の人生を、ちょいワルに、“ダンディ”に決めてみましょう!」などと明るく、爽やかで、さばけた物言いのものが多い。

 もっとも“ダンディ”の占める比率と絶対数とが後にも先にも最も多かろう世代であることに異論はないが、良くも悪くも常に時代のうねりを形成する彼等の老境への突入がまたまた新しい風潮を定着させることとなるのであろう。

 英国で発生した“ダンディ”の正真正銘のお手本は、オックスフォード大学で皇太子兼摂政時代のジョージ4世の学友だったジョージ・ブライアン・ブランメルで、1790年代の中ごろから、寸鉄人を刺すようなウィットとファッション自慢で有名な名士の先駆者であった。※Wikipedia。そしてダンディズムは18世紀の終わりから19世紀に掛けてロンドンとパリを中心にヨーロッパ一帯の知識階層や芸術家達に流行した。

 シャルル・ボードレールいわく「ダンディという存在は、各人の内なる美という概念の洗練や、自らの情熱の充足や、感情や思考・・・のあり方に他ならならず、ダンディズムとは衣装や身体の優雅さにこの上ない喜びを覚えることをいう。完全なるダンディにとってこれらの事柄は、精神の貴族的な卓越性の象徴に過ぎないのである。」

◆写真は、先の夏の旅行で訪れたダンディズムの先駆者ブランメルの母校オックスフォード大学の守衛。ちなみに石津健介のVANはアメリカ東海岸名門大学グループ「アイビーリーグ」のニューイングランド風ファッションを標榜したものであり、そのルーツは英国である。※写真はクリックすると拡大します

 2007.01.28.AM   浪漫老翁乱

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2007年1月 1日 (月)

♠去年今年【じじぶつぶつ】ニューエコノミー

頌   春
 
 12月30日は私の仕事納めの日であった。年に何回とはお眼に掛かれないガラ空きの電車に乗って何時もより早く日比谷駅に到着した。先日来気になることがあって、今年最後の定点観測ウオーキングのコースは皇居濠端の道を外して、有楽町から丸の内仲通りを抜けて丸ビル、新丸ビル等のビル街を丁寧にぬって大手町に向うこととした。
 
 気になったことと言うのはこの辺りのビルの正月飾りの有無であったが、果たして、丸ビルの正面入り口(東京駅側)の門松を除きいては、この所すっかりグローバル・ブランド街化してしまった丸の内仲通り界隈では終ぞ見付けることが出来なかった。つい先日まではきらびやかなクリスマス飾りをアチコチのビルに見掛けたと言うのに、東京いや日本の由緒有る代表的ビジネス街でのこの現象は一体全体どう言う訳であろうかと思った。061229_2

 2回ほど前の“【定点観測】新丸ビル師走”では新年4月にオープン予定で現在工事中の「新丸の内ビルヂングが昨今のニューエコノミーの風潮に乗った『金属とガラスで造られた経済合理主義一点張りの風貌』でこの場所にそぐわない」と書いたが、今日日の主だったビルディングは不特定多数の投資家を対象に証券化等で流動化されており、投資効率至上主義によってその設計・建設、運営・管理がなされている。(写真、クリック→拡大)

 ニューエコノミーとは「米国が世界標準と標榜する市場原理主義」のことである。富の蓄積が生み出した過剰流動性資金は24時間世界規模で投資先を求めて徘徊する。そこでは「投資利回り」が全てで民族や地域の伝統文化の尊重や道徳律は存在せず、人や地域の格差の拡大を世界中で急速に進展させている。1990年代以降の共産主義の思想的退潮や共産国家の崩壊で、対極にある西側の自由・資本主義が牽制相手を失って大きく右に振れた姿とも言えるのであろう。

 丸の内界隈のビルが「収益に繋がるクリスマス飾りは設けても伝統文化ではあっても金にはならぬ門松は立てない」のは正にこの「米国型の市場原理主義」に忠実にビル運営を行っている管理者の存在が有るからに他ならない。そしてこの原理主義の実践者である“不動産ファンド”の資金源のかなりの部分を我々の貯蓄や年金を預かる日本の機関投資家達の資金が占めていることもまた現実である。

 時あたかも12月28日、欧州中央銀行(ECB)と米連邦準備理事会(FRB)の公表によれば、06年末でユーロの紙幣流通量(ドル換算の価値)が米ドル紙幣の流通量を追い抜くことが確実になった。ユーロ現金の利用が域内外で一貫して増え、この所のユーロ高も作用して最強の座が逆転することとなったようである。(2006.12.28.07:01日経マネー&マーケット)

 伝統や社会性を重視する価値規範を持った欧州(EU)の台頭は此れまでの「米国型の市場原理主義」一辺倒の方法論が修正される切っ掛けになるかもしれない。新年から団塊の世代の大量退職が始まることで世界金融市場への日本からの投資は急速に増えることだろう。欧州に加えていずれ中国等の台頭も予想され金融市場のイニシアチブが多極化に向う世界にあって、今や日本もいたずらに米一国に追従するばかりでなく、将来に備えて制度を整え、人材を育成して独自の立場から筋の通った金融資産の運用・構築を図るべき時が来たと思うのである。

ブランド街門松立てず去年今年(こぞことし) 与里

 2007.01.01.AM 浪漫老翁乱

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