◆イングランド【Hats&aStick】シエイクスピアの墓
「ヒトゴロシ・イロイロ」 1564年に生れ、1616年に死んだ詩人、劇作家、役者、劇団株主、地方の名士・・・、あのウイリアム・シェイクスピアの生地(聖地とも言うようだ)であるストラットフォード・アポン・エイヴォンにこのい夏の遅い休暇で行って来た。
4日前にグラスゴーを発ち、寒々とした風景のスコットランドに別れを告げて、湖と山々に囲まれ植生も豊かな北部イングランドの湖水地方に入った。湖水地方は『ピーターラビットのおはなし』の舞台となった地であり、作者のビアトリクス・ポターが自然保護活動のために印税を注ぎ込んで購入したというニアソーリー村のヒル・トップ農場に立ち寄った。
また、湖水地方の自然美を謳いあげた詩人ウイリアム・ワーズワースが最愛の妹と一緒に住んだグラスミア村のダウ・コテージも訪ねた。彼は29歳で故郷に戻って生涯住み続けて詩作に励み「湖畔詩人」といわれた。そして湖水地方の自然保護活動を最初に行った人物でもある。
湖水地方に二日ほど滞在した後、ムース(荒野・丘)とへザー(ヒースとも言う潅木)が果てしなく続くヨークシャー地方のハワースに寄った。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』で有名になった場所である。そこでは時間の余裕が出来て、一時をへザーの花咲く嵐が丘の散策逍遥に当てることが出来た。
その後、ヨーク、チェスターを経由して昨晩遅くこの地、ストラットフォード・アポン・エイヴォンに着いたと言う訳である。翌日は朝から街見物に取り掛かったが、真っ先に向ったエイヴォン川沿いに少し歩いた所にある聖トリニティ教会は外壁の修復工事中であった。これと言って代わり映えのしない田舎の小さな教会である。
私は内部に入って祭壇脇にあるシェイクスピアの墓の前に立った。砂岩の石棺の蓋に墓碑銘らしき文字が見える。脇に置かれた拓本掲示板の文字を辿ってみる。古語なのであろう、解らない文字や単語もあるが「この墓をあばく者に呪あれ」とでも読んだものか。
喜劇・悲劇・史劇のエンターテインメントのを数々ものしたシェイクスピアの芝居の登場人物には、王侯貴族から乞食まで、妖精からから魔女まで、暴君から処女まで、そして娼婦、暗殺者、奴隷、農民、商人等々ありとあらゆる人物が登場する。長年の人間観察・研究で、人間誰もが本来もっている「どうしようもない性悪振り」を熟知していたばかりにこの様な墓碑銘を刻ませてしまったのであろう。
大勢の人々の喝采を浴びて、名声を博した彼が皮肉なことに死の床で人間不信を益々募らせてその本音をうかつにも墓場まで持ち込んでしまったことは、洒脱に欠けて、あまりに無粋で往生際も悪いと思うのだが、如何であろう。シェイクスピアが創造した言葉で今もよく使われている英語に、What the dickens is it?(一体全体何事だ?dickens≒devilの遠まわしの語)がある。
イングランドに入ってからの旅程の半分ほどが英文学科の研修旅行の様相であった所為で文学・演劇症候群に感染してしまったものか、日本への帰りがけのロンドンのホテルで思い付いて、コンシェルジェに65£也を払って取ってもらったQUEENS THEATREの特等席で観たミュージカル「レ・ミゼラブル」は流石に演劇の本場だけあって素晴らしく、今度の旅の好い思い出となった。
’06.10.08 屁眠狗雨詠
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