♣さんぽ【近隣逍遥】2003

2003年5月25日 (日)

♣早咲きの蓮花【近隣逍遥】5月は五月病?

_075_2 _212_3 ※写真はクリックすると拡大できます

「青葉茂れる薫風の季節」、「山野の木々の緑も里の草花も、夫々が活き活きと輝く季節」、「露には未だ少し間があって空もよく晴れて、夏の初めの爽やかさがそこかしこに満ちている」、「からりと晴れた日は、木々の葉がひときわ美しく照り輝いて、夏の感じが伝わってくる」、以上は何れも著名な俳人達により編まれた「現代歳時記」にある五月の時候への賛歌?です。
 
 五月の時候の欄の片隅に「卯月(陰暦の四月)は現行暦では五月に当たり、卯の花が白い小花を咲かす頃には雨が降り、五月晴れが遠のくこともある」と予防線が張ってあるとは言え、今年の五月の五月とは思えぬ「体たらく」たるや!いやはや呆れ返ってものも言えぬ程です。

 世間には「五月病」というものも存在するようですが、湿気の多い気候が不得手な私は昔からこの季節が好きで、好きでたまりません。大袈裟なようですが毎年、毎年この月を待ち焦がれるようにして迎えるのですが、今年は雨、雨、雨の毎日で何と先の21日の東京の薄日よりが11日振りということで、うっかりすると太陽系に居ることも忘れてしまいそうです。

 先日は悔しさの余りに「五月君、今年の君の働き振りには愛想が尽きた、この一年待ちに待った僕の気持ちを如何してくれるのか、納得いくよう説明してくれたまえ!」
 とやったところ脇から六月が遮って「まあまあ、しおのさん、もう間もなく私の番の6月です、6月に入ったら五月病の“奴”とは違ってこの私がしっかりと雨を降らせて歳時記どおりの梅雨にしますから、ここは私に免じて今年の奴のことはどうか赦してやって下さい」!?

 お後には続く言葉もありません。写真は今年の「太陽系に有るまじき五月の体たらく」の犠牲者達。

◆去る五月二十一日、小雨を突いての散歩途上に見付けた季節外れの露草の花(花時6~9月)
◆五月当初の甘言に乗って5/13に可憐にも咲いて見せたものの、日照不足で心ならずも短命だった睡蓮の花(花時7~8月)、合掌。

2003.05.25 痴恵歩夫

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2003年5月18日 (日)

♣青葉冷え【近隣逍遥】マロニエの花

_124_2_2_112_2_1 ※写真はクリックすると拡大できます

 五月中旬にも拘らず、雨、雨、雨そして雨。このところの南関東は気温の低い日が続きますが、今頃のこの様な気象を「青葉冷え」と言うのだと、昨日のTVの俳句番組で俳人の一人が教えていました。反対にこの頃の暑い日は「薄暑」と言うそうで、なるほど月初めの頃にはそんな日も在ったと記憶していますが、この五月は過ぎゆく春と、迎える夏とが鬩ぎ合う月と言う見方もあるのですね。

 しかし、五月に入って直ぐにも電車の中などでは夏の制服姿の生徒が冬服姿に混じって目に付くようになりました。横並びを気にせずにかつての六月一斉衣替えなどの“お仕着せ”が影をひそめるこの処の世相は、地球温暖化や経済・文化のグローバル化のなどで現実の気象・生活感覚からずれたり、グローバルに通じにくい“お仕着せの季語”抜きでの十七行詩の流行と一脈通じるところでありましょう。

 さて、私の住んでいる所は、他線に比べて早くから開けていた小田急線の沿線には珍しく、広大な里山を大型の区画整理により開発し、十数年前に駅を含めて新しく創られた街です。従って、建物も道路もその街路樹も含めた広範囲な街区全体がその年齢なのであります。

 取り分け、開発当初に殆んど全ての道路に設けられた街路樹や生垣・植え込みの植物達が育って来て、人間に例えれば中~高生の年齢に差し掛かり、逞く、豊満なその美しさを年々見せ付けるように成ったことを散歩の度毎に感慨深く楽しんでいます。

 主な街路樹は大通りのケヤキ、ユリノキ、プラタナス、中通りの栃の木(マロニエ)、花水木(ドックウッド)です。添付写真は年々ふくよかさを増して来た今を盛りのマロニエ(栃)の紅白の花。
 
2003.05.18 痴恵歩夫

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2003年1月28日 (火)

♣とくさ不動【近隣逍遥】だるま市と蝋梅の花

_132_3_4_009_2_002_2_1 ※写真はクリックすると拡大できます

小田急線沿線の我家から歩いて小30分の所に一名「とくさ不動」がある。 東京から越してきて13年余、そこが毎年1月28日(旧暦の12月)に行われる「関東、納めのだるま市」で有名なことは「その賑わい」が地域紙に毎年報道されることもあって、良く知っており一度行って見たいと思っていた。 
 
 今は三勤四遊の身の上、平日ながらこの機会にと出かけて見た。 昨夜までの雨も去って暖かな晴天の朝、遠く参道に至る道は既に大勢の人々が手に手に“だるま”(往きは納めの、帰りは新しいもの)を持って行き交い、参道近くからは狭い道を行列のあとに並んで歩を進めねばならない程の賑わいである。

 又、境内や参道には“だるま”の他に植木や食品、テキヤの語源と言われる射的屋などがテント(軒)を連ね立並んでいました。ここまで賑あうものかと驚きましたが、地域紙によれば毎年の参拝者は数万人、露天商は約400店並ぶという。

 眼に境内一杯の“だるま”の紅い色、耳には、威勢のよい商談成立の三本締めの声と手拍子、そして鉄火(火打石)の音。 久し振りにDNAも納得、理屈抜きの「心地良さ」を実感しました。

 少し気になった風景は、納め所に積まれた沢山のだるまの中に片目のまま納められた立派な “だるま” が見えたこと。それを納めた人がさらに立派で大きな “だるま” を買ったのか如何かと・・・余計なお世話か?

 遠回りした帰り道で妻が見つけた「蝋梅の花」、私は近くでじっくりと見るのは初めてである。撮った写真を見て、花や木肌が梅とは違うように思えて調べたところ、梅科ではなく「蝋梅科の落葉低木、中国原産、甘い匂いと枝に下向きについた直径2cmの黄色く透ける花弁が特徴で見頃は1月末まで」と云うものであった。

 私も妻も「蝋梅は早咲きの黄色い花の梅」と思い込んでおりました。長年の都会暮らしと宮仕えの後遺症か、時節を一緒にする我が身の回りの森羅万象への疎さに恥ずかしい思いがする。歳の所為も有って「知ってるつもり」が高じて、「知らない自分を知らない」ということか。

2003.01.28 痴恵歩夫

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