◇おでかけ【一日行】

2008年9月 7日 (日)

◇薬師苑【一日行】処暑吟行

Photo_2 ※写真はクリックで拡大します

これからは秘仏への道秋の蝶

蝉残暑アブラミンミンつくつくし

咲き残る巨(おお)きカンナや峠道

                          与里

                        

 この夏の猛暑の後に毎日のように襲ってきた豪雨禍も治まり一転して晴天に恵まれた九月初頭の一日、句友との吟行で町田市にある薬師池公園を訪ねました。

 園内の道も草木も昨夜までの雷雨に未だ濡れそぼり、そこここに青々とした葉付き団栗が散っています。切り通しの崖は度重なる豪雨に洗われて研ぎ出された悠久の断層が滴る清水に朝の光を反射しています。

 そして、忙しげに立ち働く園丁達があちこちと目に付き、行き交う蝶や蜻蛉、激しく鳴き競う蝉たちも、久方振りの晴天の秋を生き急ぐかのようです。

 公園に到着して最初に巡った蓮池に一面繁茂した大賀ハスの葉とその上に突き出る未だ実をもった花殻の巨大振りに文字通り一同ビックリ仰天。

 この時期は端境期のこととて、評判の梅、桜、藤、花菖蒲、アジサイ、蓮花、ツバキ、紅葉はおよそ見るべくもありません。

 しかし、軒深く今日ここ一番の日陰作っている薬医門(古建築)脇から入る270種もの野草を集めたという万葉草花苑は句友の興味を大いに集めたようでした。

吾がやどに韓藍蒔き生(あ)れし枯れぬれど懲りずまた蒔かんとぞ思ふ       山部宿赤人

※万葉草花苑にある歌碑。 韓藍=からあい、ケイトウ(鶏頭)のこと                                                                               

 移築展示の古民家や薬師池など昼食をは挟んでゆっくりと散策して、秘仏薬師如来がご本尊の薬師堂にお参りしてその足で七国山ファーマーズセンターでの句会に臨んだ。

目をとじて佛とおなじ薫風裡    中村菊一郎

※薬師堂の句碑 

 句会に入会して未だ10か月ほどで吟行初参加の小生であったが、やはり肝心の句作りの方はさっぱりであった。

 それに付けても、途上のよく見なさい、発見しなさい、メモを取りなさいと主宰や句友諸先輩の適切なアドバイスのあったこと、折々でのそれとない互いの気配りや、神田明神下の老舗“みやび”の美味しい幕の内弁当の用意(予約)等々に、この世界の「充分に気を利かせた質の高い大人の付き合い」に感じ入った一日でありました。

 

080907  痴恵歩夫

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2007年12月 6日 (木)

◇レインボー・ブリッジ【一日行】葛西臨海公園

Photo_5 ※レインボー・ブリッジ(首都高速道路株式会社)

 その一画だけすっかり照明を落とした暗闇の順路の中をわずかな灯かりを頼りにたどり着いた深海水槽の中に・・・それはいた。

 ようやっと暗がりに慣れた目に、あたかも黒装束の夜盗達が闇夜に隙をうかがって引っ提げた抜き身の日本刀のように、時にぎらり、ぎらり、と金属質の光沢を放って妖しく揺れ動きながら立ち泳ぎする十数尾の太刀達の姿が映った。

 百科辞典によると太刀魚は普段は水深400M程の泥底近くに群生して甲殻類の浮遊幼生や小魚、イカなどを餌とする肉食魚であるが、朝夕の薄暗い頃には表層に浮き上がり餌を狙って立ち泳ぎして頭上を通り過ぎる獲物に飛び掛って捕食するという。

 私は初めて見たこともあり少し興奮してしまったが、そのあまりに妖しく美しい、見てはいけないものを突然覗き見てしまった時のような気持ちにさせる群舞の魅力こそは正に太刀魚が全身・全霊を挙げて獲物を狙う時の瞬発力を秘めた緊張感がもたらすものであったのだ。

 後先となってしまったが、上記は地方高校OBの首都圏同級会有志による隔月の遠足会で先に訪れた東京の葛西臨海公園(水族園・海浜公園)でのことである。この日は曇天に時おり小雨というあいにくの天気であったが昼食後に予定通り同公園から東京水辺ライン海上バスでお台場海浜公園へ渡った。

 海上バスに乗ったのは久し振りということで皆気持ちが高揚してユリカモメに乗るという予定を止めて徒歩でレインボー・ブリッジを渡ってお台場海浜公園から芝浦・田町まで行こうということになった。お蔭で天気が今一つとはいえレインボー・ブリッジからの東京の風景と見通しの利く大空間に我が身を置く快感とがすこぶる印象に残る好き一日となった。

 余談であるが、この朝のこと、集合場所の葛西臨海公園駅まで小田急線、千代田線、日比谷線、京葉線と乗り継いで都心を横断したが、月末で平日ということもあって通勤時間をやや過ぎた頃合とは云え車中は未だまだ通勤客とおぼしき人々で込み合っていた。

 偶然にも腰掛けることができて周りの現役諸君達の表情を眺め回しながら、ふと、この夏以来フル・リタイアリーの我が身の上に思いをはせた。そして通勤電車の中でカジュアルな出立ちで屈託なく晴れ晴れとした気分で据わっておれる我が身の幸いをしみじみと噛み締めたものである。

 ・・・ついこの前までの自分が通勤電車で乗り合わせたくだんの老人達(=今の自分)に非難めいた視線を浴びせていたことをすっかり忘れてしまったかの如く。

◆追伸

ゲーテ読みショパン奏でしモガの代遠く小春日和に母は逝きけり
                                      秋朝

 
07.12.06.PM 浪漫老翁乱

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2006年11月21日 (火)

◇一山一献【一日行】おい高尾山・・・

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 ◆おい高尾山紅葉せんか冬初め
  
(高尾山まだ粧わず冬初め)
 山行くや白頭翁の背紅葉(もみじ)散る  与里

 先週末は同い年の老人(?)ばかり5人で高尾山に登ってきた。本来の予定日は悪天候と紅葉が遅れているということで1週間順延したのだが、それでも紅葉の名所というには程遠い風情であった。大勢の登山客で賑う山頂で弁当を使い終わる頃には天気も下り坂となり冷え込んできたのを潮時に下山して、麓の参道の両側にひしめくようにして建ち並ぶ蕎麦屋の1軒に立ち寄ってご当所名物のとろろ芋と蕎麦で早々と“一山一献”酒盛りと極め込んだのである。

 メンバーは地方の高等学校を卒業した同級生である。この学校の卒業生は首都圏に定着してしまった者が多く、2ヶ月に一回ほどの割合で会っている仲間内でもあり、久し振りという訳でもなかったのだが、気の置けない少人数で場所を変えての“山行き”は笑い声の絶えない楽しくも心解きほぐされる懇親の忘れられない一日となった。 

_004_3   山岳信仰の名刹高尾山薬王院のある高尾山は多摩山塊の東の端に位置し、足下の多摩丘陵越えに東の関東平野を睥睨して屹立する名山(海抜600m)である。そして関東平野をぐるりと取巻く其々の山塊の突端に位置して特異な山形を有する他の名山達、丹沢(相模)の大山-別名を雨降山1246m、秩父(武蔵)の武甲山1336m、群馬(上野)の赤城山1828m、栃木(下野)の氷室山1120m、茨城(常陸)の筑波山876mなどと共にに広大な関東平野と関八州の謂わばランドマークを構成する山でもある。

’06.11.21  屁留満屁施

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2003年3月30日 (日)

◇隅田川くだり【一日行】駒形どぜうと汐留シオサイト

_030_2_2_015_3_1_012_2_4 ※写真はクリックすると拡大できます

  先週に入っての急速な気温の上昇で、我が家から駅への並木のこぶしも一気に開花、元々端正な咲き振りの花ではないが、樹によっては枝一杯に咲き乱れて茶色に色付き散り始めたものも見られる今朝は春霞。

 先の3月21日春分の日午前10時、私は上野駅下谷口の拾得物預かり所が開くのを待っていた。一昨日の東北新幹線でのちょっとした忘れ物を無事受取って駅員にお礼を言い、ああ良かったと一息ついたところで、「忘れ物を受取りがてら隅田川下りをしよう」と誘った妻と、改築後初めて訪れた上野駅舎を見物、浅草に向かった。途中は浅草通りの仏壇屋街、松が谷の道具屋街をひやかして東京本願寺、浅草寺伝法院、仲見世へと妻との十数年振りの浅草ウオッチング。

 ここまで来れば、昼食は“駒形どぜう”、1801年(享和元年)創業の老舗とあって店頭で待ち列に並ばねばならぬ程の賑わいである。メニューはドジョウを丸ごと煮込む“どぜうなべ”と開いたドジョウを卵でとじた“柳川なべ”。ここが初めての妻は丸ごとを敬遠、二度目の私も前回が“どぜうなべ”だったので共に同じ“柳川なべ”を喰うことになった。晴天、光の春を歩いた後であり、又、ビールの伴奏もあってその味には大満足。
 
 “駒形どぜう”の店内は、下足番に履物を預けて上る竹ござ敷きの座敷には食卓という物が無く食卓代わりに幅一尺三寸(40cm)、厚み一寸(3cm)程の檜の板を床に敷き流してあるだけです。この店の由来が江戸時代に武蔵国の助七という者が、河川労働者を相手にドジョウ汁、ドジョウ鍋を商う“めし屋”として始めたものとのことで、汚れに強い竹ござ座敷といい、客を詰め合わせて商い出来て片付けも簡単な板膳といい、庶民相手に正に“お膳立て”を省いたと言う事なのであろう。
 
 客はその板膳(殆んどまな板)に向かい合ってズラリと敷き並べられた小座布団に座って、床の高さに置かれた食器から食すというもので、その姿勢たるや、腰に爆弾(椎間板ヘルニア)を抱えた私には正に拷問に等しいものであって、今もその後遺症に苛まれている。美味しいものには棘があるとでも言うのであろう。

 帰り道は、アサヒビール本社のシンボルあの金色のUNKO玉が正面に見える吾妻橋脇にある浅草発着所から水上バスに乗って、このところにしては珍しく風も無く暖かな陽差しとノタリノタリかな!の隅田川面をゆったりと下って、浜離宮恩賜庭園を散策、今を時めく都心の大型再開発ゾーンの一つ汐留シオサイト経由とした。
 
 実は水上バスに乗るのは二人共に初めてだったのだが、セーヌ河の遊覧船を思わせるすれ違う新造船に較べ、我が方の船が窓ガラスの面積も小さく汚れてもいる旧造船の“道灌”だったのが少しばかり残念であった。写真は浜離宮からのシオサイト、左手は妻が「友人のT嬢が先に引っ越した先ではないかしら」と言う超高層マンション、手前は浜離宮の潮入の池、中ノ島の御茶屋とお伝い橋。

 ※汐留シオサイト:旧JR汐留(新橋)操車場跡地を使った11区画、31ヘクタールの大型再開発地区で昨年暮、電通ビル(48階、高さ210m)と劇団四季の常設劇場「海」のグランドオープンに加えて超高層マンション(47階、高さ165m)の入居が始まり一部の稼動を開始。2003年10月には日本TVが新社屋からの地上デジタル放送を開始、全体の完成(6万人就業)は2006年度の予定。

2003.03.30 浪漫老翁乱

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