日記・コラム・つぶやき

2008年12月 7日 (日)

♠さようなら【じじぶつぶつ】冬かくれんぼ

051129_013_3_2 ※写真は山茶花(香林寺)クリックで拡大

◇早早とやって来た冬かくれんぼ隠れたままの君さようなら

◇いやいやと抗うように枯葉落ち静寂(しじま)する街いそぎ逝く友

◇寂しきは語らず独り黙せよと多弁なるまま逝きし目黒よ

◇今何時?もうお昼です時計塔シティに君の耀よいしとき

◇体格に合わせて贈りし記念椅子腰掛けみれば亡き師おぼえり

◇おりふしは笑みし遺影に囚われりモガのまなざし一回忌の母

◇義母(はは)逝きて半年(はんとせ)の過ぐ 三姉妹たむけし白百合の清けくて

◇弟の遺せし暦めくり来し師走こそ哀しけれ義妹(いもうと)

◇真夜中が記憶を揺する身の内に朽ちざらんものこそ愛しめよ

◇靴音のさざめき合いてゆく師走逝きし君影われに巣くえよ

                                   頼彦

081207 浪漫老翁乱

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2008年11月16日 (日)

♠ひとり言【じじぶつぶつ】Moneymarkets

079 ※写真はクリックで拡大します

◆檻に入れよとて市場原理主義すでに人喰いし後 It’s too Late

◆『未だはもう』恐怖と不安くりかえし金融危機とうもの沸騰す

◆『もうは未だ』毀損せしもの幾重にも滅ぶ定めか Moneymarkets

◆後鳴りのよみがえり来て落胆と気休めの中間(あわい)彷徨いたり

◆「私とは一個の他人です」冬鷗飛んで飛んで飛んで止みしとき

◆人の世のすさびあらぶるは常ならん蝶よ勝手に飛んでいなさい

                              頼彦

081116  浪漫老翁乱

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2008年11月 2日 (日)

♣晩秋【近隣逍遥】浄慶寺

051129_028_3 ※写真はクリックで拡大します

露置いて囲碁打つ羅漢おわす寺

宵灯り恥ずるがごとき帰り花

昨日のような今日の来て枯蟷螂

                             与里

081102 智恵歩夫

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2008年10月19日 (日)

♠ひとり言【じじぶつぶつ】エチュード

Rimg0023 ※写真はブレッド湖(スロベニア)。クリックで拡大します

◆サティ聴く「お喋り女」とボンボンといよよ明けし窓の月影

◆媼の上熟れたる一つ石榴の実アルベロベッロを燕飛ぶ影

  ※アルベロベッロ:円錐形の石屋根と白壁の続く南伊の小村

◆通草の実「ほろり」と割れて性懲りもない僕と君とがいる朝

昨夜の嘘ぶら下げており烏瓜黙しおりても済みにしものを

                                          頼彦

081019 浪漫老翁乱

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2008年10月 5日 (日)

♣秋つれづれ【近隣逍遥】死人花

Rimg0015_5 ※写真はクリックで拡大します

妖しきは石榴韓藍(からあい)死人花

翁忌や日ノ本の四時(しいじ)友として

(※松尾芭蕉、1694.10.12)

ペガサスはまだ翔(かけ)たがり山頭火忌

(※種田山頭火1940.10.11)

鳴かぬのは芋虫蓑虫へひり虫

厭わざる客の訪ね来て後の月

ビオロンの溜息ひとつ檸檬(れもん)切る

                         与里

081005痴恵歩夫

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2008年9月21日 (日)

♠秋【じじぶつぶつ】ぎくっり腰徒然

262_6 ※写真はシチリア・パレルモの市場、クリックで拡大します

顔洗いぎっくり腰を発症すこれはテロルか魔女の一撃

横臥せし日々長引きて不精髭いよいよ白きにわれは驚く

わが鏡影にカイゼル髭の祖父浮かぶいっそ伸ばさんや無精髭

髭面の祖父憑依(ひょうい)せし鏡中に己が髭面手入れしてみる

決着を付けねばなるまいチョビどじょうカイゼル髭か明日は歌会

バーバーチェアー拷問台なれば蓬髪も無精髭もぎくり腰ゆえ

蓬髪と無精髭とステッキのわがペガサスはまだ翔けたがり

                                   頼彦

080921 浪漫老翁乱

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2008年7月27日 (日)

♠挽歌【じじぶつぶつ】義母・恩師

Rimg0012 ※写真はクリックで拡大します

◆朝に恩師夕べ義母逝く短夜の月わが上にも清かかりけり

◆畢生の理念(イデー)書き終えし夜明けなる「もっと酸素を」と恩師逝きけり

◆旅先のサンマリーノにて義母想う持ち堪えしとう消息

◆炎帝の焼きし墳墓に遺骨(ほね)納む喪服の妻の足ギプス

                                  頼彦

0806浪漫老翁乱

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2008年4月27日 (日)

♠おとうと【じじぶつぶつ】挽歌

05_3 ※写真は修廣寺(片平)の白梅。クリックで拡大します

◆人工呼吸器(レスピレーター)忙しげなるも脳死せし弟眠るがごと安らか

◆人生を回路ショートに頓死せし弟の骨拾う梅は咲き初む

◆彼の世にて叱られおらん亡き母を三月で追いし弟四十九日

◆弟の愛でし鸚鵡を刻みたる新しき墓桜木の下

                               頼彦

080427浪漫老翁乱

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2008年2月14日 (木)

♤渋谷道玄坂【定点観測】M氏の泥団子

Rimg0016jpg_2_6 ※写真はクリックで拡大します

 私は地方高校の卒業生であるが同級生の首都圏在住者が二ヶ月に一度決められた曜日の夜に集まって来る小料理屋が渋谷の道玄坂にある。オーナーが同級生と言うこともあって其処での同級会はもう二十数年来の
慣習となっている。

     

 人生は其々に悲喜交々・紆余曲折があって集まる同級生もその時々に変遷して来たが、流石に齢六十の半ばを過ぎる頃ともなると首都圏定着組の中で出席する顔ぶれもほぼ定まって気のおけない10人足らずの肩肘張らない集まりとなった。

     

 今月の例会でのこと、かつての謹厳実直を引きずって未だ眼光鋭く好々爺とは程遠い風貌のM氏が皆より少し遅れて忙しげに店に入って来て席に付く間ももどかしげに「これが何だか分るかね?」とおもむろにバッグから取り出して見せたものがあった。

     

 直径にして5~6cm程の明るい茶色の球体は、一見して良く磨き込んだ “玉”で出来た中国の※健身球の様なものに見えた。ところが、手に取って見るとこれが意外に軽く指の爪で弾くと乾いた音がする。                

                 

(※健身球:掌中で二つの球を回し転がして行う健康法に使う玉石や金属の球。私も持っていて時々使っている)

     

                       

石ではなくプラスティックだったのか」と思ったが何に使うものかが分からない。

     

 周りを見ると其れが何かを既に知っている連中はニヤニヤして見ているだけで助け舟を出そうとしない。どうせ際物のおもちゃの類だろうと私は床にそれを弾ませてみようとした。

                                

 

そんなことをしたら壊れてしまうよ!とM氏はあわてた様子で私からその球を取り上げた。

    

これは俺が自分で作ったんだよ、・・・それも長い時間を掛けて、・・・と両掌に包んだその球をさも愛おしげに撫で摩りながらM氏が言う。

     

ほう、こんな精密なものを君が作れるとはねー、・・・ところでこのプラスティックの球は何に使うんだい?と私。

     

それはプラスティックじゃあないんだよ、・・・どろ、泥なんだよ、泥」とM氏。

    

えーー、ホンとかね・・・信じられない、信じられないなと私。

    

     

泥がこんな風になるとは思えない。泥とは言っても特殊な泥なんだろう?改めて見ればその色はともかく、木目細かく艶々した表面はやはりとても泥には見えない。

  

・・・それがまあ、普通の泥なんだ、・・・ごく普通のね」とM氏はやおらヒソヒソ声になり手許の球に視線を落として講釈を始めた。

    

・・・・・・

   

泥団子、泥団子なんだよ、普通の泥と普通の水だけで作った普通の泥団子だよ。・・・で別に何かの役に立つと言うものではないんだがね

    

・・・・・・

    

これって、・・・普通の泥団子なんだけど作るのは大変なんだ。土を選び、水を加えよく揉んで空気を抜いて、団子にする、そして乾燥させながら徐々に徐々に真球に整える。・・・その後完全に乾燥するのを待って磨いて磨いてみがき抜くようにしてて艶出しをするんだ。

                

           

 ・・・それらの工程のどれもがごく単純なんだが、やり直しが効かずその方法もそれぞれ実に奥が深いんだよ

             

           

 「それにね、かなりの集中力が要るんだよ、それも長時間の集中力が・・・そしてこいつが出来上ったんだ。俺の場合はたっぷり一ヶ月は掛かった。・・・もう二度と作る気はしないがね

     

 
M氏は説明を終えると同時に音にならない小さな溜息を付いた。そしてやや間を置いてから、あたかも最愛のペットでも扱っているかのような慎重な手付きでその泥団子を再び私の前に差し出した。

 私はさっきまでのそれと較べて一段と輝きを増したように見えるその球をまたマジマジと見やることとなった


 『ひと時が経って見上げるとそこにはもうM氏の姿は無く、・・・再び目を戻した先にある件(くだん)の泥団子が私の視線を待っていたかの様に突然少しだけ転がって、停まり、フッと温もったように見えた。・・・それは権化したM氏そのもののようであった。
、、、』 

                                                                                                     

 などとと書きたくなってしまうのも仕方がないと思われる程にその時のM氏は恍惚たるもので溢れていたのである。この夜のM氏が提供した静かな驚き、一度開いた口を閉めるのを忘れてしまうようなこの種の珍なる驚きはそうそうあるものではない。

   

 長年月を無事務め挙げて定年退職した男がやおら、蕎麦打ちや料理などに血道を挙げて周囲の秘かなヒンシュクを買っているという話はよく聞く所である。

  

 M氏が食べられもしない泥団子物作りに熱中し精も根も尽き果てんばかりに打ち込んで一ヶ月も費やしたしたと言う事実はバカバカしさ(失礼)を通り越して、何やら哲学的な趣向さえ感じ取ってしまったのはその場で私だけではなかったようである。

  

 M氏はきっと禅僧が座禅して無我の境地を求めんとする如く俗事から暫し距離をとって件(くだん)の泥団子作りに一心不乱に励んだのであろう。長講釈を終えた後に彼が浮かべたテレ笑がそのことを物語っているようであった。

   

 そして、成程成程と納得してしまいそうな自分が居ることに気付いたのでした。・・・この様なことはきっと年取った男がしたがることの一つなのでしょう。四捨五入すれば70歳にもなろうと言うのに己の存在に自信が持てず尚確かめようとする男の性(さが)とは何と哀しいものか。

   

 こんなことを女性がしたとか、したいと言う話は未だ聞いたことがありません。『女人に悟りは必要無い、何故ならば女人といふ存在は生まれた時から既に悟っている者なのだ』、『女は生命の本流、男はその添え物』と誰かが言っていました、・・・か?

    

      

六十うん歳の身命大袈裟に捧ぐる友あり泥団子

   (※身命:しんみょう) 

      

日干し煉瓦の成分+魂一心に揉みこんで泥団子   秋朝   

         

 さて話は飛ぶがその後日のこと“泥団子”でネット検索したところその種のマニアのホームページが結構存在することに改めて驚いた次第である。人の世は想いも及ばぬ程の拡がりがあって、それこそ奥の深いものである。

080214.浪漫老翁乱

                                

                                      

 

       

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2008年1月30日 (水)

♠寒月【じじぶつぶつ】ゲーテ

080127_012_3_8   

ゲーテ読む時昇りくる寒月の「ならばよし陽はわが背にあれ!」と                                   秋朝 
  

 この冬は寒(1/52/4)の入り前後からこの所にかけて文字通り寒波が居すわって気温の低い日が緩みなく続き近年にない寒さを感じます。  
 地球温暖化や一月の季語にある「三寒四温」(冬の日は、三日寒い日が続いたと思えば四日は温かい日がある、といったように寒暖の変化が数日おきにやって来る)など、どこ吹く風の体であります。

 拙宅は多磨丘陵の南端で南南西を望む高台にあります。南方の伊豆・箱根の山々、正面の大山を突端に連なる丹沢山、蛭ヶ岳、大室山などの丹沢山塊とその上の富士の頂、西寄りの高尾・陣馬・三頭・大獄などの奥多摩の山並み、その奥の国師・金峰・雲取・甲武信など拙宅から見えるこれらの峰々の殆どがこの所は雪を被って凍り付いています。

 この節季、夜出番が来て東空に昇って来る時の寒月は満を持して胸に秘めていた闘志を一挙に発散するかのような勢いがあります。満天に侍する星々を次々に従えて自信に満ちた足取りで中天に懸かって地上を睥睨する頃ともなればその凛々しさは崇高でさえあります。

 そして夜も更け過ぎて早暁の時、最も暗く深閑として冴え切る西方の空に懸かって静かに浮かぶ孤高の寒月もまた見る者の心を打つ美しさがあります。

 やがて曙を迎え昇り来る太陽の光と鬩ぎ合う時、何時しかそれまで付き従っていた幾数の星々もその姿を消してしまい、丹沢・富士・奥多磨の凍り付いた峰々を辿るようにして西空に沈んで行く寒月の悄然として次第に薄らぎ朧いでゆく姿には噛殺しているかのような寂寞を感じることとなります。

 一般に月は秋が好いと言いますが、大気冴え天澄みわたる節季にあって歓・喜・静・寂のどのシーンにも品格ある佇まいを見せる冬の月も中々どうして捨て難いものがありましょう。



※短歌:ゲーテ「ファウスト」柴田翔・訳 、第二場第一幕より

08.01.31.AM 浪漫老翁乱

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2007年8月 4日 (土)

♠グローバリゼーション【じじぶつぶつ】老後の始末

025_2_12 ’0609ロンドン。市場原理主義のシンボル?由緒ある古い街並みも何のその、にょっきりと“それ”をおっ立てて見せるところは流石、今をときめく金融大国・英国の勢いを感じます。(“それ”はクリックすると拡大します)


 
長期間の経済停滞で行き詰った前覇権国家英国の首相・鉄の女サッチャーが導入し、現覇権国家米国の大統領レーガンが追従した「市場原理主義経済」。

 1995年は、米国政府(ルービン財務長官)の明確な意図の下に「資本の移動によって、動かされ、形づくられる“グローバル化市場主義経済”」が構築されて、実物経済が終わり、米国主導の金融経済時代の幕開けを画する年であったという。

 時あたかも、世界はソ連邦の崩壊で東西冷戦が終結しユーロ圏の成立があった。また技術面ではパソコンの一般普及を可能にした画期的なITソフト(マイクロソフト・ウインドウズ)が売り出された。冷戦の終結は軍事費等の急速な縮小による巨額な金余りを生み、共産圏の枠組みの崩壊は一定の教育水準を持った膨大な数の労働力の市場経済への開放を伴った。

 時も味方して、米国が意欲的に推進した「統一世界市場化戦術(※1)と時を同じくするITの驚異的な進化」が効を奏することとなり、世界の余剰資金は金融技術で優位に立つ米・英に還流して世界最高水準の国民消費を支え、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)、更にはVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)等の新興国に再投資される仕組みが出来上がった。

※1:IMF(国際通貨基金)やFTA(自由貿易協定)他を駆使した金融・貿易面での税・会計基準の各国への押し付け→統一世界市場形成のファンダメンタルズの構築

 準備を整えた強大な狩人達(資本・金融力)の前に世界中の手付かずで膨大な数の獲物達(労働力・生産資材・需要)が一斉に開放されることになったという訳である。それはちょうど100年ほど前の東部アフリカ・サファリの何でもありの狩猟天国とでもいえましょうか。

                      ◆

 その結果、世界の金融資産(現在150兆ドル)は今や世界のGDPの3倍へ急成長(10年前は2倍、資産インフレ?)しており、世界の金融取引額(775兆ドル/年)も実物取引額(貿易取引額、9.3兆ドル/年)の実に80倍(過剰流動?)に上るという。 

 1997年に成長に転じた世界経済は、今世紀に入ってからは世界地域同時成長を続けており世界のGDP成長率(※2)も5%前後(15年で倍増のペース)を維持して、今後しばらくはこの傾向が続くという。

※2.主要国成長率:日やっと2.2%へ、米3.3%、独2.7%、英2.7%、豪2.7%、韓5.0%、中10.7%、印9.2%、露6.7%、伯(ブラジル)3.7%

 今や“グローバル化市場主義経済”は文字通りに世界全域に拡がりつつあり、人・物・金を次々に加入してくる新興国が市場補完し合うことで需給バランスの維持が常に可能な状態にある。そして、このことが長期に亘る世界同時成長の理由であるという。

 そして当初の思惑超える現象として、EU(ユーロ経済圏)や急成長する中国・インドなど巨大な人口を擁する歴史大国の急速な復活・台頭があって、“グローバル化市場主義経済”は米国(+英国)の一極支配体制から実態としてはも早や多極支配体制に変りつつある。

                      ◆

 国家経済での景気の循環(景気の山~山、谷~谷の期間)は数年~10年未満であった。しかし、国境を越えて拡がってしまった“グローバル化市場主義経済”は前回の景気の底(谷)からの成長開始後10年が経った今も未だ谷はおろか山(頂上)も見えない。

 国家経済に比べて“グローバル化市場主義経済”の景気循環はより長いものとなりそうであるが、その予測は難しく、懐を深くする多極化が一方で複雑化も伴って、その性向の経済学的把握はとても出来ないという。

 資本のある所から無い所への資本投下が効率的に出来るようになったことで、新興国の貧しい大勢の人々に豊かさへの道筋が開かれ、先進国の有り余る資産も此れまでより高率運用が可能ということで文字通り地球規模に急速普及し始めた“グローバル化市場主義経済”から我々はもう簡単には後戻りできない。

 ちなみにバブル崩壊後の日本は、政治家も経済人も世界的な視野を持てず“失われた10余年”が象徴する無気力で不作為な時を過ごしてしまい、“グローバル化市場主義経済”への対応が遅れてしまった。しかし一部の企業や個人の参加は始まっており、資本(年金・保険・国民資産の運用資金)の提供者としては日本も日本人も遅ればせながら色濃くこの経済に組み込まれつつある。 

                      ◆

 “グローバル化市場主義経済”はこの10年の継続的生長期間中に一部の先鋭的なヘッジファンド(※3)の破綻やITバブルの崩壊などで景気崩壊への危機がありましたが、幸いなことに小規模な変動に抑えることが出来て中長期的な成長基調に変化はなかった。

※3.ヘッジファンド:大きくレバレッジ(梃子の作用:元本の何倍、何十倍もの借入金の投入など)・M&A・・・など先進的な投資技術を駆使するハイリスク・ハイリターンの冒険的な私慕ファンド。

 しかし、世界GDPの3倍の金融資産(資産インフレ?)が実体経済の80倍もの金融取引(過剰流動性?)を行って成り立っている仕組みそのものに「何時何が起こっても不思議でないリスク(※4)」が常在することは投資側では「百も承知の上」という。

※4.:世界中で現在1万本、200兆円が設定されているというヘッジファンドを始めとする膨大なリスク資金の一部の破綻が引き金となって、世界中で逆レバレッジを伴う急速な投資資金の引き上げの連鎖が起こって世界中の市場で急速・大規模な相場の瓦解・縮小が発生することなど。 

                      ◆
 
 今日現在の為替(政策金利)は、118.00円/ドル、162円/ユーロ、(日本0.50%、米国5.25%、EU4.00%)である。この数日、円高となったとはいえ、長年水面下成長の泣かず飛ばずであった日本のGDP成長率が直近になってプラスに転じたのは長年のデフレと著しい円安進行よるもので、日本経済が総体的に成長軌道に乗った訳ではない。

 何時までたっても先の展望が開けない日本経済を見限った資本の継続的海外流出が止まらないことによる円価の下落は激しいものがある。米・欧・豪州通貨には無論のことアジアなど新興国通貨に対しても一人負けの体たらくである。

 ロンドンの地下鉄初乗り運賃が1000円、ベルリンのマックが830円、パリのスタバ・コーヒーが510円、韓国⇔日本の観光客数の逆転、韓国から日本への買出しツアーの大流行・・・など、昨今の報道が伝える円貨購買力は2、3等国通貨並となってしまった。

 見方を変えれば、海外の物品・サービスに対して円は既に著しいインフレ通貨となっているのである。発展する新興国家の旺盛な需要で、ここ数年で3倍となった原油価格を筆頭に食料・工業資源の高騰が始まった・・・いずれ日本は輸入を切っ掛けとした急速なインフレの進行を避けられないことになるであろう。

                      ◆

 急成長を続ける“グローバル化市場主義経済”に否応なく組み込まれ、その荒波に翻弄され、さらに比較劣後し続ける様であれば日本の将来は無い。このままでは、それこそ日本と日本人の未来に「何時何が起こっても不思議ではないリスク(※5)」があるのである。

※5:リスクの最大のポイントは、“グローバル化市場主義経済”が派生するデメリットの多くが国家単位では解決できないことである。(国際的な管理・コントロールの仕組み作りが急務)

 ①国境を超えて連鎖・跋扈する巨大金融経済を適切に管理・コント
   ロールが出来るか→突然の市場瓦解、資産バブルの崩壊、金
   融テロ・・・など

 ②フラット化する労働市場・地域→大競争社会→協調から反目へ
   既に企業間では激烈な競争が起きているが、連邦国家、国家、
   
都市、地域、個人・・・あらゆる領域間で勝ち負けを峻別する激
   しい競争

 ③価値観の世界均質化の進展→独自性の欠落→地域性社会の
   弱体化
 ③格差の拡大による社会秩序破壊→治安の悪化・政情の不安
   定化
 ④環境の急速な悪化

           ・
           ・
           ・

 もうやり直しの効かない歳に差し掛かった私の世代が恐れているのは、日本が低成長・超低金利・円安・デフレ基調を脱することも出来ず、海外資本の導入も望めないまま無為な時を過せば、激しく躍動し成長し続ける世界から更に比較劣後し続けて、デフレはやがてインフレに転じ、老後に備えた蓄えが早々と目減りして底を突いてしまう日が来ることである。

 ※日本の先行を懸念して、既に企業はもちろん一部の個人がその金融資産を海外金融機関の口座に移し替え始めている例を私は身近に知っている。

 好き時代の先輩諸氏の老後は「満々と溢れんばかりにお湯を張った湯船に浸かって、来し方を懐かしみ、行く方の西方浄土に微塵も疑いを持たず、今日の平穏と安寧を楽しむ」ものであったであろうが、私の世代の老後となっては、湯船のお湯が何時しか冷め、また減ってしまうことを常に心配せねばならぬ時代となったようである。


2007.08.04 pm 浪漫老翁乱

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2007年2月13日 (火)

♠Youth【じじぶつぶつ】クレマン・ブルゴーニュの一時

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※写真はクリックすると拡大します


暖冬や金の成る木に花が咲き   与里
 ※添付写真は、植えてから十数年経って初めて咲いた我家のカネノナルキの“花”。

         ◇             

 「地中で虫が動き始め、鶯が鳴き始める」という立春二候の先の休日のこと。程好く装い、未だかくしゃくとして充分に軽やかな足どりで地上47階のクラブの一室に集まった5人の退役紳士達の午後は、シャンパーニュならぬブルゴーニュ産のスパークリング・ワイン(クレマン・ブルゴーニュ)を供に始まったフレンチのフルコースランチを舞台に、広範・闊達でありながら自制の効いた話題と、洗練されて時宜を得た諧謔とが醸成するこの上もなく愉快で上質な一時であった。

 それは、あたかもジュールヴェルヌの「八十日間世界一周」のロンドン・ベルヌ街の彼のフィリアス・フォッグの通う「革新クラブ」や「退役将校クラブ」の会員諸氏の会食風景を彷彿させるもので、「与えられた人生が遭遇せねばならぬあらゆる場面で、常に勇気を失わずに立ち向かうことの出来る気力に満ちた紳士達の呼応する時間帯」でもあった。

 この昼食会は、同期の4分の1が首都圏在住という地方の大学の附属中学校の同期生がメンバーで、何年振りかで開催された昨年暮れの首都圏同期会で懐かしさを募らせて、引き続き「会おう」ということになって今年になって開催したものである。未だに現役を張っている者もいるが、流石に60台も半ばを過ぎた年齢に差し掛かって退役者が増え、これから邂逅の機会を増やそうとしている所である。

 予定した3時間は瞬く間に過ぎて、地上での別れの握手に力が入って、人混みに夫々消えていく朋達の後姿が3時間前より高揚して若返ったように見えたのは、先程までの彼等との邂逅で夫々の人生経験に裏打ちされた見識や将来への旺盛な好奇心を競い合った所為であったと納得した。その時、ふと、あのサムエル・ウルマン(1840~1924)の詩「YOUTH」を心の内で思い起こしていたのは、このメンバーの中で私だけではあるまい。

         ◆

 青春とは 真の 青春とは
 
 若き 肉体のなかに あるのではなく

 若き 精神のなかにこそ ある

 薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体

 そういうものは たいした問題ではない

 問題にすべきは つよい意思

 ゆたかな想像力 もえあがる情熱

 そういうものが あるか ないか

 こんこんと湧きでる 泉のように

 あなたの精神は

 今日も新鮮だろうか

 いきいきしているだろうか

 臆病な精神のなかに

 青春はない

 大いなる愛のために発揮される

 勇気と冒険心のなかにこそ

 青春はある

 ・・・

 ※「Youth」サムエル・ウルマン、新井満 訳 

 2007.02.12.PM 浪漫老翁乱

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2007年1月28日 (日)

♠オックスフォードの守衛【じじぶつぶつ】ダンディズム団塊

 大寒も二候「沢の氷が厚くなる」という時節とはとても思えぬこの所の暖冬ぶりであるが、 ロンドンの地下鉄の初乗り運賃が今年に入って4ポンド(240円/ポンドで960円)に値上げされたというニュースもまた驚きである。

 それでなくともここ数年の一方的な為替レートの下落で対ドルで20%、対ユーロに至っては65%も目減りしてしまった円通貨は海外での使い勝手も年々悪くなっており、また国際的なインフレ対応にも不安が付きまとって気掛かりなことである。 

 06年以降のドル/円は114~122円と狭いレンジ(7%)の推移であるが、同期間のユーロ/円は140~157円(12%)と大幅な急落であり、タイ・バーツ、韓国ウオンなどのアジア通貨、豪州ドルやニュージランド・ドルに対しても一本調子の円安である。

 超低金利政策の硬直化で円と他国通貨との金利差が埋まらずむしろ開く展開で、借りた円を売って他国通貨で運用する「円キャリートレード」が資金運用のキーワードとなって、今や円は主要通貨から置き去りにされ最も弱い通貨となってしまったようである。

                          ◇

 今年60歳を迎える“団塊の世代”(1947~49年出生の2百万人)の話題が今メディアを賑わしている。65兆円とも言われる退職金の行方やその消費活動を巡ってシルバービジネスも沸き立っているようである。

 高度成長が始まる1960年代に青春真っ只中(中・高・大学生)であった彼等は、私の世代では未だ多少面映い対象であった“アイビーファッション(VAN)”、“みゆき族”、“ビートルズ”・・・などの新しい時代の息吹に違和感無く馴染んで一世を風靡させた世代である。その後、常に時代のマジョリティであった彼等が認知定着させるファッションに前後の世代は追従して来たものである。

060901_4_5  そんな彼等の定年後へのセールストークは私の世代の時とは異なり「さぁー背広を脱いで貴方の第二の人生を、ちょいワルに、“ダンディ”に決めてみましょう!」などと明るく、爽やかで、さばけた物言いのものが多い。

 もっとも“ダンディ”の占める比率と絶対数とが後にも先にも最も多かろう世代であることに異論はないが、良くも悪くも常に時代のうねりを形成する彼等の老境への突入がまたまた新しい風潮を定着させることとなるのであろう。

 英国で発生した“ダンディ”の正真正銘のお手本は、オックスフォード大学で皇太子兼摂政時代のジョージ4世の学友だったジョージ・ブライアン・ブランメルで、1790年代の中ごろから、寸鉄人を刺すようなウィットとファッション自慢で有名な名士の先駆者であった。※Wikipedia。そしてダンディズムは18世紀の終わりから19世紀に掛けてロンドンとパリを中心にヨーロッパ一帯の知識階層や芸術家達に流行した。

 シャルル・ボードレールいわく「ダンディという存在は、各人の内なる美という概念の洗練や、自らの情熱の充足や、感情や思考・・・のあり方に他ならならず、ダンディズムとは衣装や身体の優雅さにこの上ない喜びを覚えることをいう。完全なるダンディにとってこれらの事柄は、精神の貴族的な卓越性の象徴に過ぎないのである。」

◆写真は、先の夏の旅行で訪れたダンディズムの先駆者ブランメルの母校オックスフォード大学の守衛。ちなみに石津健介のVANはアメリカ東海岸名門大学グループ「アイビーリーグ」のニューイングランド風ファッションを標榜したものであり、そのルーツは英国である。※写真はクリックすると拡大します

 2007.01.28.AM   浪漫老翁乱

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2007年1月15日 (月)

♣小正月【近隣逍遥】影法師

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(※写真は横浜市青葉区寺家町の保存農地の冬田。クリックすると拡大します)

 今年も早や小正月、市場原理主義とITによる経済と労働市場のグローバル化による「世界的な収入格差」や、富裕層の流動資金の徘徊が生み出す「世界規模の資産インフレ」と言った「規範無きうねり」が最早その往く末(落し所)の見当も付かぬまま、走りに走って破綻への屈折点を曲りつつあるようにも見える年、折りしも1891年に統計を始めて以来と言う地球規模での記録的な暖冬である。

                         ◇

 彼は私より一歳ばかり先輩であり又ビジネス上の朋(とも)でもあった。本人は「バランス感覚」と言っていたが、自他共に許す「調整型」で鳴らした彼は対極にある「挑戦型」の私にとって貴重な存在であって、互いに調和し助け合った仲であった。

_010_3_3   退職後は首都圏の東と西に離れて居を構えたこともあり、互いに行き来の無いのを気にする関係であった。その彼が去年の暮も押し詰まった27日に急逝したとの報に接したのは正月4日のことである。

 元旦に届いた彼から私への明らかに本人の筆跡と思われる年賀状と、やはり昨年の暮に出状した私から彼への「今年は会おう」と記した年賀状が最後の「通い」となった(合掌)。

 ここ2~3年の間会わずにいたことが残念であり、正月早々のやる場の無い感慨がしばらくは断ち切り難いものとなってしまった。身の回りで突然こんなことも起こる年齢になってしまったと言うことか。(写真はクリックすると拡大します)

年賀状目出度くもなし朋(とも)の逝く        
日脚延ぶ我藁塚(わらづか)も影法師     与里

2007.01.15.AM. 痴恵歩夫

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2007年1月 1日 (月)

♠去年今年【じじぶつぶつ】ニューエコノミー

頌   春
 
 12月30日は私の仕事納めの日であった。年に何回とはお眼に掛かれないガラ空きの電車に乗って何時もより早く日比谷駅に到着した。先日来気になることがあって、今年最後の定点観測ウオーキングのコースは皇居濠端の道を外して、有楽町から丸の内仲通りを抜けて丸ビル、新丸ビル等のビル街を丁寧にぬって大手町に向うこととした。
 
 気になったことと言うのはこの辺りのビルの正月飾りの有無であったが、果たして、丸ビルの正面入り口(東京駅側)の門松を除きいては、この所すっかりグローバル・ブランド街化してしまった丸の内仲通り界隈では終ぞ見付けることが出来なかった。つい先日まではきらびやかなクリスマス飾りをアチコチのビルに見掛けたと言うのに、東京いや日本の由緒有る代表的ビジネス街でのこの現象は一体全体どう言う訳であろうかと思った。061229_2

 2回ほど前の“【定点観測】新丸ビル師走”では新年4月にオープン予定で現在工事中の「新丸の内ビルヂングが昨今のニューエコノミーの風潮に乗った『金属とガラスで造られた経済合理主義一点張りの風貌』でこの場所にそぐわない」と書いたが、今日日の主だったビルディングは不特定多数の投資家を対象に証券化等で流動化されており、投資効率至上主義によってその設計・建設、運営・管理がなされている。(写真、クリック→拡大)

 ニューエコノミーとは「米国が世界標準と標榜する市場原理主義」のことである。富の蓄積が生み出した過剰流動性資金は24時間世界規模で投資先を求めて徘徊する。そこでは「投資利回り」が全てで民族や地域の伝統文化の尊重や道徳律は存在せず、人や地域の格差の拡大を世界中で急速に進展させている。1990年代以降の共産主義の思想的退潮や共産国家の崩壊で、対極にある西側の自由・資本主義が牽制相手を失って大きく右に振れた姿とも言えるのであろう。

 丸の内界隈のビルが「収益に繋がるクリスマス飾りは設けても伝統文化ではあっても金にはならぬ門松は立てない」のは正にこの「米国型の市場原理主義」に忠実にビル運営を行っている管理者の存在が有るからに他ならない。そしてこの原理主義の実践者である“不動産ファンド”の資金源のかなりの部分を我々の貯蓄や年金を預かる日本の機関投資家達の資金が占めていることもまた現実である。

 時あたかも12月28日、欧州中央銀行(ECB)と米連邦準備理事会(FRB)の公表によれば、06年末でユーロの紙幣流通量(ドル換算の価値)が米ドル紙幣の流通量を追い抜くことが確実になった。ユーロ現金の利用が域内外で一貫して増え、この所のユーロ高も作用して最強の座が逆転することとなったようである。(2006.12.28.07:01日経マネー&マーケット)

 伝統や社会性を重視する価値規範を持った欧州(EU)の台頭は此れまでの「米国型の市場原理主義」一辺倒の方法論が修正される切っ掛けになるかもしれない。新年から団塊の世代の大量退職が始まることで世界金融市場への日本からの投資は急速に増えることだろう。欧州に加えていずれ中国等の台頭も予想され金融市場のイニシアチブが多極化に向う世界にあって、今や日本もいたずらに米一国に追従するばかりでなく、将来に備えて制度を整え、人材を育成して独自の立場から筋の通った金融資産の運用・構築を図るべき時が来たと思うのである。

ブランド街門松立てず去年今年(こぞことし) 与里

 2007.01.01.AM 浪漫老翁乱

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2006年10月28日 (土)

♠宗旨替え転向【じじぶつぶつ】マニュアルシフト朝駆け

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※写真はクリックすると拡大できます

 鋳物クローム鍍金の古風なハンドルに手を掛けてドアを開ける。シートにすべり込んで、ドゥウンッと重いドアを閉める。シフトレバーをニュートラルに置き、クラッチを一杯に踏み込み込んでイグニッションキーを回す。他に誰もいない早朝の地下室の静寂を突然破ってエンジン音が響き渡る。

 シートベルトを着け、ドアミラーを開き、バックミラーの視角を確かめ、一速にシフトして、おもむろにカーラックを出る。一速のまま地上への急な斜路を上って出口の手前で一端停止する。車を感知したゲート・チェーンが降りる。出発、今朝の坂道発進は合格だ!

 世田谷道に出て西進する。ここは交通量も信号も多く三速を維持して走る、いわばウオーク(並足)である。しばらく走って右折、鶴川街道に向う間道に入る。ここは道幅は狭いが見通しの利くゆるいカーブが続く4km程のダラダラとした上り坂である。四速にシフトアップして加速、トロット(速足)で上って、上って、走る。

 程なく鶴川街道にぶつかって右折、東進する。鶴川街道は道幅も広く見通しも利き、この時間の交通量は未だ少ないため所々5速にシフトアップできる。やはり4km程をトロット、時にギャロップ(駆け足)で走り抜けると、世田谷通りへの戻り道との交差点に着く。

 右折して、道幅狭く曲がりくねって、きついアップダウンの続く5km程の山道をトロットで走り廻る。先行車と充分な車間距離がある時のこの道の運転は面白い。急坂での充分な加速力、回頭性良くスパッと切れるハンドル、それをバックアップする剛性の高いボディと足回り、しっかり身体を包み込んでくれるスポーツシートなどこの車の特長を生かした走りがソコソコ楽しめるのである。

 再び世田谷通りに戻る、コースの全長は16km程でエンジンが充分に温まる暇もない距離である。そして、通りからは程近い我家の地下車庫に無事帰還する。「ご苦労さん、今日の“朝駆け”はとても良かったよ!」と、呼吸を乱すでもなくカー・ラックに納まった愛車に声を掛けて自室に戻る。

 私がこの車を手に入れたのは4月も末のことで、既に6ヶ月経とうとしているがオドメーターの数字は未だに1200kmに過ぎない。気忙しい日々が続いた為に遠出のドライブが叶わず、折角の新車とのお付き合いもこの“朝駆け”程度でお茶を濁して来たという訳である。

 今度の車は、1.6Lマニュアルシフト(MT)2ドア小型車で、前車の3Lオートマチック(AT)4ドア・クーペ普通車に比べて不安になるほど軽く小さい。機動性に富んだこの車に乗ることで“我が身の若返り”を図って、この正月にショールームに見に行ってその場で一念発起発注したものである。

 十数年間故障一つなく、静かで、ゆったりとして、走行性能も良かった前の車が気に入らなくなったという訳ではなく、「頭と手足をフルに使って運転し人車一体感できる車」に拘って、謂わば宗旨替え、転向したのである。

 シートやタイヤを凝った為もあり手元に届くまで3ヶ月半を費やした。この車の取説は今時珍しく慣らし運転(2000km)を強要している。何処も彼処もキチキチの寸法精度で作られていると見え、ギア、クラッチ、ブレーキなどの操作がやっと今頃少しスムーズになって来たようである。

 前述の“朝駆け”もエンジン回転数を4000rpmに抑えての走りであって、本来の上限回転数6750rpmを使い切る時の走りは未経験である。もっとも、それを試すには前述のコースでは無理ということになるのであろう。

 この車のオリジナルは1959年に発売され、モンテカルロを始め世界の名立たるラリーを制覇して一世を風靡し、1960年には日本にも輸入されて人々の羨望の的となった車である。その後20世紀末の生産終了まで何と41年間もフルモデルチェンジせずに生産を続けた伝説的な英国車であって、未だに颯爽と走る姿を街に見ることが出来る。

 今度の私の車は20世紀末にドイツ自動車メーカーの傘下に入ったことで初のフルモデルチェンジが行われ、オリジナルと入れ替えに21世紀初頭に発売された2代目モデルである。新たにドイツのメカニズムを骨格にして、オリジナルモデルの基本コンセプトをそのままに英国車的風貌(文化)をまとったモデルであり、そこを私は気に入っている。

 私の運転免許取得は40歳を越えてからのことであったが、その後25年間で所有した車達を紹介すれば、最初が2L・AT・4ドアセダン、次が2L・MT・ジープ型四駆ショートボディ、次がまた2.4L・MT・ジープ型四駆ロングボディ、そして前車の4ドア・クーペとなって、こんどの車で5代目ということである。

 我ながら「あまり一般的とはいえぬ」車歴で、むしろ「変わった部類に属する」といった方が当っていようか。しかし今更、過ぎ越し方を変えられる訳もなく、また「今度の車で乗り収め」と決め付けるのも何処か寂しいものが残る。・・・かと言って、次の車が霊柩車ばかりは未だ、未だ、御免こうむりたい。クワバラ、クワバラ!

’06.10.28  頼秀

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2006年3月 7日 (火)

♠はなまんさく【じじぶつぶつ】偽装・捏造・粉飾

Rimga15jpg_2 ※写真はクリックすると拡大できます

仰ぎ見る花金縷梅(はなまんさく)や風の舞  
金縷梅(まんさく)や空いっぱいの花リボン   与里

「以前には稀であった“こと”が、最近になって多発するようになって目に付くようになった」のか、いや「以前から存在したが表立つことも無かったその“こと”が此処にきて暴露され始めた」のか、さて何方であろう?

・・・と考えた末の結論は、「以前から珍しいことでもないが、表立つことも少なかったその“こと”が最近になって広範な分野で頻発するようになり、その内容も大規模で悪質なものが多くなった。又、それを積極的に暴露する人々も新しく出現した。」と言うものであった。

 回りくどいと叱られそうであるが、数年前から今国会の質疑4点セット(姉歯、ライブドア、東横イン、防衛庁事件)に至るまでの間の、政・官・学・医・産・財等の多分野に亘って頻繁に目に付きだした“偽装・捏造・粉飾事件”のことである。

 経済学には、合理的経済人という考えがあるという。「完全な情報が受け取れる状況のもとで、自分の経済的利益を最大にするには如何したらいいかを考え、それに基いて最適な行動をする人間」のことであり、問題を単純化して考えるために経済学が導入した仮定だそうだ。

 最近、経済アナリストの森永卓郎氏が『実際の人間には血も涙もあり、情に流されたり、うかつなヘマをしてしまうこともある。ところが、そのフィクションであるはずの合理的経済人が一人の人間となって動き出してしまった。・・・それがホリエモンである。彼は“新自由主義”の申し子、先駆けでありその思想や価値観が具体的な形となって動き出した怪物なのである。』と喝破しているが言い得て妙であると思った。

 私は頻発する“偽装・捏造・粉飾事件”の背景には、金融の世界市場化、ネット情報システムの世界普及と、かつての旧自由主義市場(日米欧=世界人口の10%)への旧共産国家等(BRICs.世界人口の40%強)巨大人口の参入が引起こした地球規模の大競争=“新自由主義”市場時代の到来という大変化があると思っています。

 否応なく蔓延して急速に勢いを増すこの“新自由主義”市場化は、新旧両陣営の別に拘らず、あちこちの国でその慣習や制度とぶつかって混乱を発生させている。そして日本もまたバブルの崩壊以後10余年間の経済の収縮・停滞もあって、この大変化にその慣習や制度を充分に対応・調整し切れていまい。

 英国と同様に島国である日本は元来慣習法(不文法)的土壌であり、かつての多民族覇権世界帝国ローマの法体系を手本とする大陸法(成文法)には馴染みにくい慣習や文化を形成してきました。しかし“新自由主義”市場化の波はこの島国をも容赦なく飲み込んで、世界中の人・物・金・情報が出入り御免で跳梁跋扈する所となっては、もはや法や制度を周到に成文・明確化して文字通りに厳しく律して統治する大陸法的体系を参考にした社会システムの手直しが必要であろう。

 プロ化したスポーツでは選手はレフリーの目を盗みルールすれすれのプレーをするのは当たり前であり、それを又上手く裁いて試合にするのが審判の腕前というものであろう。経済先進国としては、これからでも明確で周到なルールを用意して、公正で厳格なレフリーを育て、世界中から一流のプレーヤーを集めて、堂々の名勝負試合を開催してみせるくらいの度量も欲しいものである。

 世界中の人・物・金・情報を集めて、為替の垣根を越えて24時間取引することが“新自由主義”市場であるならば、も早や、寝かせて置くだけの資産はその持主が誰であれ思い掛けない目減りのリスクから逃れられず、維持する為にも常時運用を強いられます。世界を跳梁する大口の金には大富豪の投資金やオイルマネーもあるが、我々先進国国民の将来を賭けた年金や保険資金がその多くを占めているのも事実である。

ガリガリ亡者でなくとも世界情勢・経済動向から片時も目を離せない日々、安らぎのない時間を過ごさざるを得ないことになってしまった様であります。寝る間も惜しんで目配りし、世界中を駆け回って・・・我々は一体何処へ往こうとしているのでありましょうか。

◆追伸:最近のことであるが、ある旅行社の勧誘に「当社はどんな旅先でもお客様に日々、日本及び世界の最新の金融市場情報を欠かさずお届け致しますので、安心して当社をご利用下さい」というのがあった。(閉口)

‘06.03.07.PM  痴恵歩夫

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2006年1月 1日 (日)

♠頌春【じじぶつぶつ】ルーパロマーナ

Jpg2_2 ※写真はクリックすると拡大できます

頌 春

 『叔父さん、どうしたらいいでしょう?僕は望んだ、たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じ所にいる。いや同じ所にもいない!退歩してしまった。僕はなんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです。・・・』

・・・ゴットフリートはやさしく言った。『そんなことは今度きりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。その他のことは私たちの知ったことじゃない。』 ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」豊島与志雄訳

                      ◇

 昨年は、11/17姉歯の構造強度偽装事件が発覚以来、不動産・金融の業界は大童となり不動産関連商品の受け渡しが滞り始めました。最近は「この所の流動化(証券化)手法による不動産への投資は過剰(ミニバブル)」と金融庁が目くじら立てて指導に当っているという。

 その他にも運輸、金融、保険、証券、警察、医療、教育等々の昨今の組織的不祥事や巷での異常犯罪の増加など、戦後の約半世紀ほどの間にはついぞ見られなかった社会や経済の基盤を揺るがすような不祥事・事件が頻発している。

 底抜けしたかの如くの治乱、退廃は何処で止まるのやら予測も付かない世相となり、他国の投資家・訪問者などから見て今の日本は、も早や「ナショナル・リスクが無い」などとはとても言えない国となってしまったようである。

私も今年は早や還暦5歳、「今年こそは将来の夢を窺える、明るい年となりますように祈るばかりであります」などと他人事のように世相を嘆いて、神だより・他人だよりでその場を済ませる訳には行かない。

 感性と体力のバランスが取れる時はもう残り少ない、何事もやり直しが利かないことを自覚する年齢となってしまった。今こそ、ここ一番発奮して!己自身を明るく元気付けすることを考えねばなるまい。

 ・・・と手始めは、乗りつぶした後は新たに持つのは止めようと思っていた車(セダン-走行距離6万キロそこそこながら我家に来て既に十余年)を敏速で取廻しの好い小型クーペ、それもマニュアル・シフト車に買い換えて、感性の趣くままに走らせてみたい?なー!と年甲斐も無い初夢を膨らませて、新年を迎えたところである。

◆写真はルーパロマーナ(ローマの牝狼)
 ローマ建国の大業を成し遂げたロムルス・レムス兄弟の有名な伝説に基づいた像。幼い兄弟は、祖父を殺し王位を奪ったアムリウスによってチベル川に流されたが、忽然と現れた一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長し、成人した兄弟は祖父の仇を討ちローマを統一したといわれる。昭和13年イタリア(ムッソリーニ?)から東京市へ寄贈されたもの。 

2006年 元旦     頼秀

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2005年10月18日 (火)

♠はなすすき【じじぶつぶつ】秋霖

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        ◆秋霖や洗いざらいの読書かな 
        ◆強がって日暮れ寂びしき花芒(はなすすき)  与里
    
 秋は雨の多い季節である。しかもその雨は日毎に冷たくなる。そして人に物寂しさや悲しさを誘う。秋霖(秋雨、秋黴雨=あきついり)とは、そうした秋の長雨のこと。何日も降り続いて陰気な気分になってしまう。
(「現代歳時記」成星出版)

 今日で南関東は四日続きの雨である。そして予報は明日・明後日も又の雨模様を告げている。気温も日毎に下がって来て、街行く人々の表情も服装もすっかり「秋深し」と言った風情である。これぞ正に歳時記に言う「秋霖」なのであろう。

 時あたかも、天候に呼応するかのように東京株式市場では日経平均株価が5日続落、円相場も続落して‘03年9月以来の円安・ドル高水準となった。昨日の小泉の靖国参拝が巻き起こすだろう国際的な懸念と併せて、何か只ならぬ不穏な気配も漂うようである。

’05.10.18.pm  頼秀

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2005年10月 1日 (土)

♠残り花【じじぶつぶつ】曼珠沙華とホトトギス

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           ◆悪餓鬼の行く方知らずや曼珠沙華   与里

 本日は10月1日大安、衣替え。南関東は朝方から爽やかに晴れ上がり秋高く麗らかである。今日~明日開催の出身高等学校の卒業45周年記念同級旅行会の目的地、伊豆も快晴とのことで打って付けの日和となった。

 高度成長期に差し掛かろうかという年代の卒業で、進学や就職で首都圏に出てそのまま居付いてしまった者も多く、母校の地に留まった卒業生との合同会は両地の中間点でやろうということになった。還暦直前に開催した前回から5年の歳月が経って、互いに公私共に何事もなかったという訳にはいかない年齢となっての再会である。 

 我が家からの丹沢山塊越しの富士もそろそろ霞み始めた。どれ、早やお昼でも摂って、ぼちぼち出掛けるとしよう。

◇写真は曼珠沙華、ホトトギス(淨慶寺)

’05.10.01  痴恵歩夫

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2005年9月13日 (火)

♠青天井【じじぶつぶつ】コントラスト

05072_041_3_3  『小泉さんは「自分は死んでもいい」と言って、悪い人達を切ったでしょう。カッコいい!』と、初めて投票所に行った若者達。今度の衆議院総選挙は多くの浮動票が動き、小選挙区制の定着化が進んだ結果とはいえ、小泉自民党のこれ程までの一方的な勝利は私には予想外のことであった。

 善悪、好悪は別として、より迅速な意思決定手法の政治への導入という点では歴史的な転換点であったのではないかと思う。21世紀に入って日本でも浸透急な世界標準と呼ばれる「ルール至上の自由・市場・資本主義経済」がもたらす競争による容赦ない「優勝劣敗」は、企業統治と意思決定のより迅速・効率的な仕組みへの変革を既に課している。

 鎖国江戸の農村で競争よりも和を尊ぶ政治風土で育まれた根回しと妥協による全会一致型の政治手法は事前に合意することで誰もが責任を負わないで済む決定をし、また人情や事情の機微を汲み取って執行することで仲間内に遺恨を残さないというものであった。
 
 そして地域、族、閥の人情(顔)・事情(腹)を熟知し、根回し・談合・妥協の手法を駆使できる専門家として所属を裏切らない政治家が代々育てられて来た。しかし、この国の政治風土は明らかに変化が起きたようである。190数カ国が地球上にひしめき、通信・交通手段の発達で総国家間競争時代ともいえる今日では、国家の統治経営に当っては効率的で迅速な意思決定手法の導入は必然のものとなったようだ。

 小泉氏の標榜するのが“特定の政治勢力に左右されない政治”や“大統領的内閣総理大臣”だとしても、彼が今度の選挙で採った「郵政民営化に賛成か、反対か」とそれだけを問う戦術は、どうせ理解できないだろう政策論より分かりやすければいいと高をくくっていると思う。大げさな見出しで客を釣る一部の週刊誌や夕刊紙と同じ手法を選挙に持ち込んだ訳で、選挙民が見くびられた様で不快であり、衆愚政治の臭いも漂う。
  
 街々から子供達を連れ去る“ハーメルンの笛吹き男”、“今後の世論”、そして私物化されたとも言える自民党は何処へ向うと言うのだろうと一抹の不安を感じているのは私ばかりではなかろう。しかしより高い観点から俯瞰すれば小選挙区制も機能したし、エポックメーキングな結果であったことに変わりなく、日本の政治がより柔軟に時代の課題に対応できる仕組みを持とうとする新たな第一歩を踏み出したものと理解した所である。

 余談であるが、「白か黒か」を大っぴらに迫る今回の小泉氏の手法は湿潤・豊穣で多神教の農民の国には馴染は無く、農業に不向きな乾燥地帯の遊牧民の中から起こったユダヤ教やキリスト教そして「剣かコーランか」のイスラム教などの一神教の世界に顕著な対決手法である。ここ数年の経験に過ぎないが、この夏のヨーロッパへの旅でその乾燥気候の晴天が作る中庸を赦さない明解な陰陽に触れたことで、其々の文化・文明の性(さが)がその発生の地に拠って起つ宿命を実感した。

◆写真は、ポルトガルはバターリアのサンタマリア修道院の未完の礼拝堂の青天井(虚空)
 
’05.09.13.PM 屁眠狗雨詠

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2005年8月11日 (木)

♠麻生川【じじぶつぶつ】屁糞蔓

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◆芙蓉、槿、百日紅の派手やかなるもひっそりと木陰這い咲く屁糞蔓(かずら)を君知るや 与里  
 先の8月7日、立秋の日曜日は長年の習慣で朝8:00からのTV読書番組の週間ブックレビュー、午後13:00から始まる囲碁番組を見ることにしているため、朝食前に近所の小川沿いの散歩を済ませたが、そこで今年もまた見付けてしまったのが添付写真の “ヘクソカズラ” というわけであります。

◆皀莢に延ひおほとれる屎蔓絶ゆることなく宮仕へせむ  高宮 王   

 これは万葉集の高宮 王(たかみやのおおきみ)の今で言う“ごますり歌”または“リストラ予防歌”と言ったものでありましょうが、ここに出てくる屎蔓(万葉の頃はクソカズラと呼ばれていたが後に屁が付け加えられた)は人の関心を引かない所、従って久しく人手の入らない半日陰の藪で他の自立する植物にからみ、まとわり付いて、目立たず、ひっそりと生息する小型のつる草であるが、一旦葉や花が傷つけられると、その名のゆかりの悪臭を発散して抵抗する小なりといえども“五分の魂”の持ち主でもある。

※1.皀莢:かはらふじ(皀に草冠が付くのが正字←PCに無い)。※2.延ひ:這い。※3.おほとれる:乱れ広がっている。※4.屎蔓:屁糞蔓、早乙女花、やいと花、アカネ科のつる性多年草、花は1cm程の漏斗形で秋に黄褐色の実を付け、日本全土、朝鮮、中国、フィリピンなどに分布する。

 人里に普通に生息する植物で、その気になって探せばありふれた近所の藪に見付かるものだが、普段は他の草花や季節の事象に目を奪われるのかその存在に気付くことはめったにない。こちらの気持ちが高揚してもいず、また落ち込んでもいない極々中庸で平穏な心境下での散歩の途上などで気付くことがある草花で、見付けたからといって特別な感慨を生じさせない所がこの植物の真骨頂であり、また生き永らえて来た秘訣(藪隠れの術)なのであろう。

 明くる8月8日、月曜日は涼しいうちにと朝食もそこそこに例により “おっ越し山” 方面への遠出の散歩を済ませて高校野球を見ながらの昼食の後は、かねて予定のTV参議院国会中継~シャトルのコロンビア帰還実況中継(CNN)見て夕食という心算でありました。 しかし、シャトルが着陸地フロリダの悪天候で帰還延期となったこともあって、参議院での郵政民営化六法案の否決騒ぎからその後の衆議院解散への政局絡みの政変劇の一部始終を終日見聞きすることとなってしまった。こんなことはフル勤務時代には無かった経験で、取分け採決時の記名投票に向う議員諸氏
其々の立場をにおわせる表情・素振りには大変に興味深いものがあった。

 立秋を過ぎたとはいえ、まだ暑く、夏休みの只中にある。日は真上にまで来ていて暑いのだが、曇天のために、焼け付くようなじりじりとした暑さはでは無く、風はそよとも吹かず、高温多湿で、じっとしていても汗がにじむ様な気象を“油照り”といい、この夏は太平洋高気圧が弱くこの“油照り”の日が多いようである。動植物も人の世も取分け不順で剣呑なこの夏を乗り切って、清々しくすっきりと晴れた秋の日を早晩迎えたいものである。                              

’05.08.11.PM  痴恵歩夫 

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2005年4月 5日 (火)

♠日本の主要都市【じじぶつぶつ】都市間競争

050331_001_2  先月23日に‘05年1月1日現在の全国公示地価が国土交通省から発表された。それによると、全国の平均(全用途)はマイナス5%と14年連続の下落ながら、都心5区の商業・住宅地が上昇、大阪圏、名古屋圏で上昇地点が増えるなど三大都市圏で上昇局面入りが鮮明化し、地方圏では7,8年振りに下落幅が縮小、下げ止まりの兆しが出て来たようだ。

 今回の公示地価の特徴は地価上昇地点の箇所数と上昇幅のアップが面へと拡がっていないことで、上昇地点の周辺で下落が見られるなど同一エリア内で格差が出てきたことであります。その好例が地価上昇顕著な都心5区内に在りながら、前年比5.1%減で都内区部下落率ランキング3位に入ってしまった新宿歌舞伎町。因みに下落率1位は築地(5.5%減)、2位は日本橋兜町(5.4%減)であった。

 バブル崩壊以来ここまで、土地はその稼ぎ出すキャッシュフロー(生産性)に見合う価格で取引され、それを反映する公示価格が実際の土地取引でも尊重されて来たが、此処に来て人気地域(銀座、秋葉原、六本木など)ではこれを何倍も上回る価格での取引事例が続出しており、昨年までは5%以上あった都オフィスビルの投資利回りは一部で3%台も出始め、ミニバブルの様相を呈して来たとも言われる。(未だ高額対象地が点的で投資家も一般素人にまで拡がっておらず、玄人相場に留まっている?)

 不動産取引の過熱の背景は長引く低金利によるカネ余りであり、国内資金を集めるREIT(2兆円)や私募ファンド(2兆円~)に加えてサヤ取り狙いの海外資金が不動産の新たな買い手として台頭しており、物件取得競争の激しさはバブル期に劣らず「首都圏を食い尽くしたマネーが新幹線に乗って西へ西へとじゃぶじゃぶ流れている(大林組の大林剛郎会長)」という。(3/22日経産業紙)

 では、マネーがジャブジャブと流れて行った先の様子は如何か?先に発表された大手業者による「主要15都市のオフィス市場動向調査」を元に私がランキング付けした結果は下記の通りである。

’02、3、4年のビル空室率の推移%と’04年の新規需要面積千坪(シェア%)

①都心5区 6.1%(↑)/7.0%(↑)/*5.7%(↓)/222千坪(56.1%)
②東京区部 6.1%(↑)/6.9%(↑)/*6.0%(↓)/260千坪(65.6%)
③横浜       8.2%(↑)/8.9%(↑)/*6.6%(↓)/13千坪( 3.3%)
④名古屋   8.2%(↑)/8.7%(↑)/*8.2%(↓)/11千坪( 2.8%)
⑤大阪   10.4%(↑)/10.6%(↑)/*9.5%(↓)/66千坪(16.6%)

⑥札幌  9.0%(↑)/11.8%(↑)/ 9.6%(↓)/15千坪( 3.7%)
⑦福岡 11.4%(↑)/11.9%(↑)*10.8%(↓)/12千坪( 3.0%)
⑧京都 13.6%(↑)/13.7%(↑)*11.0%(↓)/ 9千坪( 2.3%)
⑨仙台 11.6%(↑)/12.7%(↑)*11.5%(↓)/ 6千坪( 1.5%)
⑩広島 10.8%(↑)/13.1%(↑)/ 13.3%(↓)/ 1千坪( 0.2%)

⑪岡山 13.2%(↑)/13.4%(↑)/13.8%(↓)/0千坪( 0.0%)
⑫高松 14.3%(↑)/19.5%(↑)/17.8%(↓)/4千坪( 1.0%)
⑬神戸 17.2%(↑)/17.2%(↑)/17.8%(↑)/0千坪( 0.0%)
⑭金沢 16.6%(↑)/18.3%(↑)/20.3%(↑)/0千坪( 0.0%)
⑮新潟 18.9%(↑)/20.6%(↑)/20.8%(↑) -1千坪(-0.2%)

*印:空室率は概ね’00を底に悪化上昇しており’04年に反転下降が始まるが、その内二年前(’02年)の水準以下にまで下降したものを示す

 オフィス需要は企業の先行き景況感を良く表す指標の一つであり、この結果は現在の地域の景況・競争力を表現していると思われる。三大都市圏で新規総需要の約九割(88.3%)を取り込み、東京23区だけでシェアー65.6%、更に都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)で五割以上(56.1%)を占めて
しまうこの国の在り様はやはり異様であると言うべきなのか。

 それにしても、公示地価の商業地上昇率ランキング1~7位までを独占、十番までに八地点が入り、オフィス空室率でも首都圏に続く高ランクを獲得した名古屋地区の安定成長振りは目を引くものがある。トヨタ、イチロー、落合ドラゴンズ、アイス・スケートの安藤美姫、中部国際空港セントレア、愛・地球博、そして先の日曜日の愛工大名電と、名古屋の絶え間ないトピックスの提供とヒーローの輩出とはその溢れんばかりの地域活力を誇示しているようである。

 一見、バブルの再来と思われるような人気土地への思い切った高値投資の一方でその周辺であっても一顧だにされない土地の存在。先にも紹介した日経産業消費研の繁華街人気調査「行くようになった繁華街と行かないようになった繁華街」の結果や今度の公示地価、オフィス調査の示すよりドライな評価への移行を伴うこの所の都市・地域間競争の激化は現在の日本の世相を映して「容赦無き優勝劣敗」を正に地で行くもので、この傾向は益々助長されることだろう。

◆写真は陽が高くなり早朝ウオーキングの濠端にも朝日が射すようになった、しだれ柳の芽吹きも始まった日比谷濠の穏やかな朝。

’05.04.05.PM  浪漫老翁乱

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2005年1月 1日 (土)

♠頌春【じじぶつぶつ】書斎机

0504020_009_2_2050520_034_2_2_2_122Photo_48 ※写真はクリックすると拡大できます

明けましておめでとうございます。
 大晦日の南関東はこの冬2度目の雪。昼前からぼたん雪が降り始めて3時間ほどでみぞれ~雨に変わったが、一時の降り振りは激しく我が家周辺では4,5cmほども積もった。夜のTVニュースによれば東京での雪の大晦日は21年振りということであった。 

 珍しく雪に降込められ大晦日は心機一転、拙宅のささやかな書斎の整理整頓に取      組むことにした。というのもそれまで1台だった書斎机を暮も押し詰まってから私と妻の分と合わせて2台を新調したのですが、新しい主役の据付で迷い手間取って模様替えやら整理やらが後回しになっていたものだ。 

 書斎机は14、5年前に我家を買ってそれ迄の社宅住まいから移った時以来、長年使っていた食堂テーブルを書斎机に転用していたもので木製で出来が良く、机面も広く妻と共用してそれなりに重宝していたものである。 

 セミリタイア(三勤四遊)して以降は私が書斎を使うことが多くなり、身の回りに置きたいものも増え、そのテーブルとPC机だけでは二人で使うには狭いということで、妻の机を新調するついでにテーブルも書斎机に替えて新調することにした。

 新調した書斎机は、本当はもう少し大きなものが望みだったが拙宅のささやかな書斎では窮屈ということで諦めて、幅120×奥行70cmのやはり木製で専用のチェストとワゴンを備えたもの2台にしたが、機能的で、他の木製の家具との釣合いも好く満足できるものであった。 

 自分専用の机を新調するのは大人でも嬉しいもので妻も私も物を納めて眺めたり、擦ったり、座り心地を確かめたりと中々整理に手がつかず、又、いざ取り掛かっても、本や書類の整理作業そのものも結構楽しくて、途中で読み耽ったりしてしまうこととなる。 

 そんな訳で整理作業は新年へ持ち越しとなり、一転して晴天となった元旦は初御空のもと雪化粧の丹沢山塊の上に覗いた初富士を眺める書斎の窓際の我が机に向かって引き籠る一日となった。今は、富士に沈む夕日が久々に澄み切った空と雲に映えてとても奇麗である。 

◆ところで“年末ジャンボ宝くじ”当りましたかな? 私めは、早々と11月中旬からウオーミングアップを開始、狙いを定めて購入し本格的にイメトレすること1ヶ月。購入した宝くじ券供には「買ってやった恩を決して忘れない様に」、そして自身には「当った時の心構えを」昼夜をあげて言い聞かせてきたのですがそのかいもなく、誠に遺憾ながら今回の勝利は適わずじまいであった。

 しかし、しかしですぞ!あの「トヨタ、イチロー、ドラゴンズ、新空港、万博そして先の路線価値上がり地点NO.1」に象徴される経済隆盛の名古屋への出張の際に購入した10枚から年末ラッキー賞の1万円が当って元本割れを防げたことはやはり多少とも霊験あらたか、流石といえましょう。

 拙句は今回の宝くじ当選へのイメトレで「当選時の記念の一句」として密かに準備していたものですが、用無き今となっては開陳することと致しましょう。

◆ふふ、うふふ、うふふふふふふ、初笑い   与里

写真は縁起ものの夫婦水鳥。左からハシヒロガモ、キンクロハジロ、コブハクチョウ、カルガモ。

‘05.01.01.PM. 頼秀

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2004年10月 9日 (土)

♠三題話【じじぶつぶつ】ムラサキシキブ

_3_13 ※写真はクリックすると拡大できます

  いやはや、迷惑千万、倣岸無礼、言語道断の台風や今一過!・・・災い無し。 さて、
①人口、世帯数は東京都、大阪市では1968年から低減傾向にあったが、同市の場合は戦後一貫して逓増傾向を続けて、世帯数が減少することもなかった。’93~96年に短期間バブル不況による人口の減少あったが97年より東京都と肩を並べ一早く増加基調に転じた。(大阪は3年遅れ)

②この春の中小企業景況感調査の結果は業況総合・設備投資・売上高・収益の各傾向判断指数のいずれもが他都市に比べ大幅に改善した。

③’04/4~6の失業率は3.7%と全国平均の4.8%を大幅に下回り、有効求人倍率(県)も1.39倍と全国トップで、東京都の1.1倍、全国平均の0.8倍を大きく上回った。

④事業所の規模別従業員数の分布で1,000人以上の事業所の従事者比率は13.6%で東京都の4.1%、大阪市の2.8%を大きく上回り、30人未満の小規模事業所の従事者は東京・大阪に比して少ない。又、製造業従事者の割合は28%で全国平均の18.5%に比べ非常に高く、建設業従事者8%は全国平均10%より低い。

⑤給与水準の分布は400~500万円/年の層が最も多く東京都と同じ形状(大阪市は200~400万円が最多)を描き、1,000~1,250万円の層も大阪に比べてはるかに高い割合となっている。

⑥’03年の同市の港からの輸出額は7.4兆円(6.3%増)、輸入は2.8兆円(6.7%増)で取扱貨物量、貿易額共に日本の第1位港である。主要輸出品目(金額)は自動車28.8%、機械25.7%、電気機器14.0%で、輸入は機械機器24.6%、鉱物燃料17.2%、繊維製品12.4%である。

⑦9月21日に発表された基準地価で、駅前の2地点が全国の商業地価上昇率で1位、3位となった。又、業績好調のトヨタが本社機能の一部を移転する’06年9月竣工予定の駅前の豊田・毎日ビル/地上47階やトヨタ関連企業の周辺終結を見込んだ再開発プロジェクトの目白押しに加えて、中部国際空港「セントレア」’05年2月開港、愛知万博など国際的に認知されるイベントの開催もある。

 ここまで書いてくると、この都市が名古屋を指し、この地域が愛知県とその周辺の東海地域であることがお分かりでしょう。
 
 昨今、東京圏に続くその活況振りが話題に上る同地域に付いて、最新レポートの1つを読んでみて、産業と人口の集中が作り出すこの地域の強さの特徴と安定感とを改めて認識した次第。

 京・大阪と江戸の中間に位置した歴史と、近年に築き上げて来た経済基盤とが織り成すこの地域の特異性が今や、世界に向けてその力量を発揮し出したと言うべきなのでしょう。

 そう言えば、この地域を代表する超優良世界企業の“トヨタ自動車”を評する場合の今や常識的な修辞「権威を頼らず、時代・常識に流されず独立独歩、独自・着実な合理主義経営」はそのまま、“あのイチロー”にも、今年の“落合ドラゴンズ”にも当てはまる様に思い始めているのは私ばかりでしょうか?言わば、『トヨタ、イチロー、ドラゴンズ』三題話。

  ◆実紫(みむらさき)机上で暮れる寒露雨   与里

’04.10.09.PM. 屁留満屁施

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2004年9月18日 (土)

♠ドストエフスキー【じじぶつぶつ】曼珠紗華

_2_112 ◆ 祝い日の蝶忙しや花寺の秋  
◆ 蝉の声虫の音止んで秋時雨    朝秋

  早や仲秋、天高く時に秋麗、陰、雨。 野には萩、ススキ、鈴虫、松虫、鉦叩、 そして秋刀魚、秋味、芋、栗、南瓜・・・と、五感に響く結構な季節の到来。

 そんな先の日曜日、家人のまだ寝ている朝一番に一念発起、私にとってはこの夏から持ち越して毎日の様に気に障っていた大懸案の熱帯魚の水槽の掃除水替えを敢行しました。 ※写真はクリックすると拡大できます 
  
 水槽には我が家に来て10年以上も経ち、その水槽劇場の主役を務めるシルバー・エンゼルフィッシュ(12cm)とその敵役のドジョウの仲間で橙色に黒縞のクラウンローチ(16cm)に加えて脇役のせむし男でコケ掃除係を兼ねる鯰のセルフィンプレコ(12cm)が棲んでいるのです。

 やっとのことで終えることの出来た今回の水替えは前回から二ヶ月も経ってしまった後のことでありました。それ迄はマニュアル通りの2週間毎の掃除水替えを怠っても次の週には必ず済ませていたのですが、あろう事かあの猛暑の夏中を汚れた水に放ったらかしにされた魚達が流石に半月前辺りから餌も食わずグッタリしていたのは知っていました。

 私とて、未だあの猛夏の後遺症を引きずる身故に水替えの決心が中々付かず誠に罪深いことながら見て見ぬ振りをしていたと言う訳であります。というのも水槽は80ℓ級の中型一基ですが掃除水替えともなると脇目も振らずに取り組んでも優に一時間は掛かる重労働なのです。
 
 そもそも私が熱帯魚を飼い始めたのは二十数年前のことで、一時は中型水槽2基に産卵槽、治療槽をも備えてあれこれと珍魚水草の類を揃えてひねもすそれらの水槽を眺め暮らす程に熱中した事もあったのですが、幾度かの転居や長旅毎の面倒が嫌になり熱も冷め、寿命が来て魚の数が減っても新たな魚を増やす勇気も無くなって、しぶとく生き残った今の魚達を最期に飼うのを止める事にしているのです。

 今回やや恩着せがましく替えてやった二ヶ月振りの新鮮な水はたちまち魚達を生き返らせ、それ迄の様子が嘘の様に体色も明るく餌の喰いも良くなった魚達と見違えるほど綺麗になった水槽をしばし見やって私は久し振りに満足と心地好い安寧とを覚えていました。

 しかしその時、寄る年波の所為か世界中の苦悩を独り占めしたかの様な“しかめっ面”のドストエフスキー(エンゼルフィッシュ)が綺麗になった水槽のガラス越しにその冷たく良く光る眼で私を睨み付けてもの言いたげにしている様子に気が付いたのでした。

 “D”の曰く『絶望の中にも焼けつくように強烈な快感があるものだ、殊に自分の進退が窮まった惨めな境遇を痛切に意識するときはなおさらである』と、そして『それにしても今度ばかりはもう少しで本当に死ぬところだったぞ、これからは気を付けろよな!』

 大事業を成してシャワーを浴びた後の朝食は久し振りに旨く、その余勢を駆って春は梅に桜、初夏の紫陽花、真夏の蓮花、秋は曼珠紗華(彼岸花)と紅葉で有名な贔屓の花寺へ妻共々遠出の散歩も敢行。 花好きの住職が長年月その境内と裏山一帯に丹精を込めて、今年は例年より十日も早く満開盛りを迎えたと言う曼珠紗華の秋麗の木洩れ陽に映えて妖艶、見事な群生風景に思い掛けなく出会えたことはこの秋の幸甚でした。

 ’04.09.18.AM  痴恵歩夫

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2004年8月 7日 (土)

♠不動産ファンド【じじぶつぶつ】百日紅の花

Jpg_2_13 _2_109 ※写真はクリックすると拡大できます

◆不覚にも 還暦三年 百日紅(さるすべり)   与里

 激暑の夏も今日は立秋、私の居所でも季節の折り返しを告げるかのように朝早くから盛んな蝉しぐれです。貴兄姉にはお健やかに、ご機嫌好くお過ごしでしょうか?私事ですが、ゆっくりするつもりであったこの夏は妙に忙しくなって、半分リタイアの身としてはやや閉口する毎日を過ごしています。
 
 さて、全上場企業を対象とした「減損会計」の’05年度(’06年3月期)からの完全実施と二年間先送りされていた金融機関の「ペイオフ」の’05年4月以降の全面解禁が迫っていることで、この頃は事業会社と金融機関が絡み合って不良資産処理・保有不動産の処分が急加速しています。

 不動産の処分といっても、従来のように企業同士が単純に売り買いし合うことで再び不動産を保有してしまっては「減損会計」になじまない為、第三者機関(特別目的会社や信託銀行)に一旦保有させ流動化(証券化、不動産ファンド化)して投資家を募りオフバランスシート化するという、近年日本に導入された欧米流の手法が盛んに活用されています。

 手持ち不動産の処分を急ぐ事業会社と大量の資金を抱えて大口投資先に困っている金融機関の事情がマッチして、この手法による不動産処分は大規模・広範に相当なスピードで進んでいます。

 ここ1年程の間に物件は、かつての大型優良オフィスビルから中小型ビル・商業施設・流通施設・賃貸マンションに及び、地域もかつての東京都心から首都圏のターミナル都市圏更には地方政令都市に及んでいます。大口投資家事情やファンド経費の集約等の事情もあって組成単位は一本あたり10数物件以上、金額が数百億円単位にもなる様です。

 業界での扱い物件数の増加・多用途化・地方都市への拡散やそれ等が短期間に処理される猛烈振りは、手法を変えての「何時か来た道」を思い起こさせるものがあります。

 三全世界は有為転変、諸行無常。若しかしたら貴兄姉の居所近くのご存知のビルの幾つかは既に密かに流動化されているかも知れませんね。そんな私の休息の一日、近所への散策で撮った、この夏取分け元気な百日紅(さるすべり)の紅白の花。

’04.08.07.PM 痴恵歩夫

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2004年5月 2日 (日)

♠丸の内~大手町【じじぶつぶつ】万緑の日比谷濠

_2_131 _2_132 ※写真はクリックすると拡大できます

 私のゴールデンウイークは予想される道路の渋滞から少し前に痛めた腰をかばう為に車での遠出は避け夏に備えて、リハビリを兼ねた近隣や都心でのウオーキングをせいぜい楽しむつもりです。
 
 拙宅のある川崎市は東京都と横浜市に挟まれ市街化・宅地化が進んだ地域ですが、私の住む市北部(小田急線沿い)は未だ散在する農地と開発の難しい急峻な丘陵や神社仏閣の裏山の緑等があちこちに残っており、散歩も少し遠出をすれば季節の微妙な変化をまだまだ楽しめます。

 8世紀頃には朝廷への貢献物の麻を産していたという麻生区は、鎌倉時代に王禅寺の上人が山中で見つけて栽培を始めたという“禅寺丸柿”の名産地でもあり、そのことに由来する隣町の柿生の周辺は柿畑があちこちに見られます。
 
 我が家近くを流れて果ては鶴見川に合流する麻生川沿いの見事な「葉桜並木」と柿畑の“芽吹きから新緑への移り変わり”が日毎、新鮮に美しく目に映って季語に称える「柿若葉」そのものの風情です。

 そんな週末の最早万緑の朝の遠出の散歩途上で古刹の裏山の切通しで見付けたタヌキに注意の道路標識。まだまだ捨てたものではないか?我が町の自然度。

 ’04.05.02.PM  痴恵歩夫 

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2004年3月20日 (土)

♠アイデンティティー【じじぶつぶつ】韮の花

0403_3  今日は春分の日、自然をたたえ、生物をいつくしむ日、昼夜の長さが同じになる日。今日の日の出入り(東京)は5:45、17:53と昼夜同じにしてはややずれてもおり、例年は21日頃のはずと今年は20日の春分の日にここ数日、違和感を覚えてわだかまっていたのですが「ああそうか今年は閏年だった!」と今朝方になって気が付いた次第。
 
 今年の桜の開花は早いとの予報に待ったを掛けるかの様に週末に掛けて寒さが戻り、ここ南関東の今日、彼岸の中日は昨日までの風も止んで冷たい春雨が静かにしっとりと降り続く正に “春霖” の一日。 ※写真はクリックすると拡大できます  

 そんな日に書斎にこもってふっと思い出したのは、一昨日に会社で目に留めたある雑誌に載っていた記事。先日来日したUCLAのモースという教授が 『トヨタのレクサスは凄い、あれは芸術作品であり工業製品ではない、アメリカでは100年たってもできない。やってやれないことは無いが、それはミサイルのときだ(笑)。だからアメリカでは生れない』とたいへんに褒めて帰ったということ。

つまり、日本の輸出は、統計上の分類では工業製品や文化製品かもしれないがその本質は「芸術作品」というもの。日本人は一生懸命、とことん仕上げに凝る。日本人には飛鳥・奈良以来の芸術の伝統が在って例えば“雅やか”とか“ゆかしさ”という表現で通じ合える高度なセンスの共有が在る。多くの日本人に備わった長い歴史に培われた“文化の厚み”こそが日本の底力・アイデンティティーで、他にその様な国を見付けることは出来ないというもの。

 日本のバブル崩壊後は「失われた10年」ではなく、「文化の爛熟期の10年」で文化創造の時代で在り、今後はその文化の普及(産業化)の時代に入るというもの。そして既に、マンガやアニメに始まり、車、デジカメ、薄型TV、ロボット等から ナノテク、バイオテクノロジーの分野でもその萌芽や成果が現れつつ在るという心強いお達し(日下公人)。春分の日の今日を境に、昼間の時間が夜の時間を越えて長くなり、春も
盛りへ、初夏から夏へと向う時候に日本経済も又、擬えたいものです。
 
◆写真は、散歩の道の端の溝で凛として咲いていた“韮の花”
※手元の歳時記には、ユリ科の多年草、花は夏に咲くとあるのですが?

’04.03.20.PM 痴恵歩夫

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2004年2月29日 (日)

♠二月二十九日うるう日【じじぶつぶつ】ドヴォジャークノ墓

_2_93   今年の二月は、正月から月初めに掛けて飲むことの多さがたたり記録的な暖冬にも拘らず一度風邪気味に崩した体調が戻らないままに早三月を目前とする候となりました、皆さんには如何お過ごしのことでしょか?

今日は2月29日、閏(うるう)日。太陽暦では一年を365日5時間48分46秒との差を4年に一回、2月を1日多くして29日とすることで調節。一年を354日とする太陰暦では19年に七回、5年に二回の割りで閏年を設け二度繰り返す閏月を適当に決めて1年を13ヶ月とした。※写真はクリックすると拡大できます

 太陽暦(グレゴリオ暦)の閏年の厳密な定義は下記の通りです。
①西暦が4の倍数の年は閏年とする。
② ①の例外として、西暦が100の倍数の年は平年とする。
③ ②の例外として、西暦が400の倍数の年は閏年とする。
 
※400で割り切れて、例外の更に例外が適用されるものだった前回の2000年は私も現役でコンピューター問題対応に気を遣ったものでした。又、現役時代は所属部署によっては「閏年は4年に一度の業績増加プレゼントの有る美味しい年」でもあったことを端無くも、思い出しました。 

 閏年で増える営業日1日分の売上げ増を単純計算してみると年間では1/365=1.3%、1~3月期では1/90=1.1%、月間では1/28=3.6%です。月極の支払い経費(賃貸料、職員の給与など)との兼ね合いで企業の損益ベースではこの数字は無視できないものと成る場合も在りました。

 少なからず日数の影響を受ける個人消費の閏年、閏月によるGDPの伸びを、「家計調査(総務省統計局)」を用いて消費全体に占める月極払いとそれ以外の割合を求め、月極払い以外の項目だけ日数の影響を受けるものとした試算は、2003年度年間で0.1%、1~3月期で0.8%、2月で2.6%と成るそうです。(ニッセイ基礎研究所)

 前回の閏年(2000年)迄の「GDP成長率」はこの閏日1日の増加分を含んだものでしたが現在の統計はこれを修正して、閏日の影響を排除した季節調整を掛けることにした(内閣府)とのことです。

◆写真は、プラハ、ヴィシェフラットの国民墓地に在るアントニーン・ドヴォジャーク(ドボルザーク) の屋根付きの回廊に在る墓。

’04.02.29.PM. 浪漫老翁乱

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2004年2月22日 (日)

♠ニュー・エコノミィー【じじぶつぶつ】丸の内スカイライン

_3_14  上場企業の不動産売買のうち先週お伝えしたJリート(不動産投資信託)が買い手となった割合は、01年度上期10.5%から02年度下期には23.2%に拡大。03年度は、場企業が12月に売買した不動産の総額約3550億円の内、Jリートの取得が67%を占めるなどで更に拡大。今やJリートは不動産の保有主体として、優良物件の最大の買い手となって不動産市場に旋風を巻き起こしています。

 リートは、IT産業などに遅れて不動産・金融分野にやって来た “ニューエコノミー”というべきもので、この高度な専門的処理を必要とする新しい業務は一握りの専門家達が主役を担っています。そして私の知る一部の企業などでは30歳台の役員待遇の担当者がこれに当り、モーレツな働き振りながら途方も無い高額な収入を得ている様子を身近に見ることが出来ます。

 その一方で最近、十五~二十四歳の人口の二割もが就学も就労もしていないとの統計が発表され、これに、ここ十年で倍増したというフリーターを加えた若者達は五百万人を下らず、この趨勢が続けば2014年に一千万人、若者の三人に一人はフリーターという事態になってもおかしくはないという。(東京学芸大学山田教授)

 今東京では一桁の億はおろか二桁の億円価格の超高級分譲マンションが人気、品不足で高級車で有名なBMWも記録的な売れ行きだそうです。一方私の居所、東京の最寄りのベッドタウンの川崎市では平成に入ってからの生活保護世帯の数は約2.5倍(一万五千四百世帯)、生活保護扶助費は約3倍で一般会計予算の9%近くを占めるに至っています。
 ※生活保護扶助費の負担は1/4が自治体、国が3/4

 近頃、街で大声を出しながらモデムのスタートセットをタダで配りブロードバンドへの会員参加を勧誘している大勢の若者達を見掛けます。“ニューエコノミー”では企業内で仕事を覚え昇進していく職は減少して、高度に専門的な知識や技能を持った少数の人材が必要な一方でマニュアル通りに単純作業をこなす人々を大量に必要とする様になっており、雇用/求職のミスマッチからフリーターが増える傾向に在るといいます。

 戦後の日本は自由主義の仮面をかぶった社会主義国まがいの競争を抑えた護送船団方式の国家経営を永年行って来て、共産圏の崩壊とバブル経済の破綻を境に、あらゆる分野でより自由主義的な世界標準?に向って開国せざるを得ない羽目になって久しいものがあります。

 雇用の分野での「年功序列から業績序列への移行」を実行する企業とその変化に対応できない若者達が織り成した結果が上記の数字でしょうが、現実には「同列を排し優位と劣位に峻別待遇する」という待遇面での非情な二極分化が着々と進んでいる様です。

 将来を思えば、上述の山田教授の予想する数ほど悲観的には成らないまでも、国民年金・健康保険料も納めていない可能性が高く、未だ増え続けているフリーター、パラサイト、引きこもり達の団塊が中年になって“自由?の代償”を払う日が来た時、「社会秩序の維持や社会的費用負担が必要になる筈」の災いは今年還暦3年生の身では将来確実にわが身にも降りかかって来ることは避けがたいことになりそうです。

◆添付写真は祝田橋寄りの皇居前広場越しに見る丸の内のスカイライン中央大きく見えるのが明治生命館街区ビル(’04/8竣工予定)、その右手は東京三菱B/K本店ビル、明治生命館街区ビルから左へ丸ビル(’02/8)、丸の一丁目第1街区ビル(’04/8竣工予定)、日本工業倶楽部・三菱信託銀行本店ビル(’03/3)、左端茶色は東京海上ビルヂング

 ’04.02.22.PM  頼秀

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2004年1月 2日 (金)

♠頌春【じじぶつぶつ】ハンガリーの恵比寿さま

Photo_50 ※写真(030712田中裕子女史撮影)はクリックすると拡大します

  明けましておめでとうございます。皆様の本年のご多幸をお祈り申し上げると共に、相変わらずご厚誼のほどをお願いいたします。

◆初富士や雲をかぶって寝正月  与里

 この所、見えぬ日は無いと言った我が家からの富士山頂も、元旦の日の出時には顔を覗かせていたものの二度寝して起きた後は終日雲の中、ここ南関東では冬型の気圧配置が急速に緩んで時ならぬ暖かな正月を迎えています。
 
 ウイーン・フィルのニューイヤーコンサート2004(ムーティ指揮)を例年通りTV鑑賞後のひと時、ナイトキャップの一杯を遣りながら今年も又、性懲りも無く未だに実現したことも無い “自分へのマニフェスト”。

 「元来、せっかちで気忙しい性なれど、今年はゆったりと構えて森羅万象を率直に受容して、より闊達に振舞える様にしよう。そして地元での交友関係の構築もせずばなるまい」。悠々と、洒脱に・・・と。

 そんな時、連想して思い出してしまったのが、昨夏の中欧旅行(ハンガリー~スロバキア~チェコ)でのこと、オーストリアからハンガリーへ流れ込んでスロバキアとの国境沿いを東進するドナウ川が南に直角に流れを変えてブダペストへと向うドナウベント(曲がり角)近くのセルビア人が築いたドナウ川沿いの街センテンドレの商店の「釣りに呆ける破戒修道士/ハンガリーの恵比寿さま」の看板。

 スナップ角度が悪くて判りにくいのですが、釣られているのは下が魚で、上が鴨です・・・・お店が何屋かもうお判りですね。それに付けてもこの破戒修道士の屈託の無い笑顔はどうです!吾等が鑑と言ったところでは?

 もっともお店は修道院をリストラされて仕方無く、得意技を生かして創めたものかも知りませんね、芸は身を助けるといった所でしょうか?しかし、細かいことを言うようですが、“リール付の釣竿” は頂けませんね。

              04.01.02. 塩野頼秀

追伸:年末ジャンボ宝くじの顛末
 5等賞二枚、6等賞3枚の計6,900円也、収支損益▲2,100円也で在りました(1等の組違い賞に一字違いが在ったのは残念でした)。以上が私の神に誓って、正真正銘な顛末報告ですが、買われた皆さんの結果や如何?(もっとも当たっていればイメトレ/シュミレーション通り、口を割らないか!?) 以上。

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2003年12月14日 (日)

♠夕焼け富士【じじぶつぶつ】年末ジャンボ宝くじのイメトレ

Photo_54 ※写真はクリックすると拡大します 

         ◆冬夕焼け富士の高嶺のシルエット   与里 

 昨日、今日と南関東は素晴らしい快晴で、我が家からは丹沢山塊越しの富士を終日見ることが出来た。

 師走と来れば “年末ジャンボ宝くじ”今年も12月に入ってから、日にちや場所を変えて例年通り連番二組、バラ一組の30枚を購入しました。私は宝くじに関してはビギナーズラックとでも言うか、30年ほど以前に2等の組違い賞の6桁(十万台)全ての数字が当たってビックリしたことがありました。

 組が違えば(当時は組が一桁の10組未満)当然百万台外れた訳です。引き換えに身分証明が必要だった賞金の5万円は同僚との酒代に消えたものでした。そしてそれ以後、毎年の様にせっせと宝くじを買い続けましがこれを越える当選は未だにありません。

 この時期仕事先では、昼食時の食卓を囲んで罪の無い“宝くじ話”が弾みます。つい先日のことですが普段真面目で通している人物から 「自分はジャンボ宝くじに当たった時に備えて、毎年12月はイメージトレーニングに励んでいる」とかなり大真面目な告白があって、一同、呆れるやら、感心するやら、あげくの果ては隣近所のテーブルがビックリする程の爆笑を誘うことと為りました。

 その真面目氏いわくイメトレの第一歩は、「大晦日放送の当選番号との照合作業を、家族・近親者の面前で行うべきか否かを検討する」こと、即ち、開示範囲の特定を行うのだそうですが「家族とも秘密保持協定を結ぶのかどうか」に付いては、聞き漏らしました。
 
 次には、「当選後は極力外出を控えて部外者に会わない様にするが、止むを得ずに会う人達からは悟られない様にする」こと。又、「当然予想される本人の多大な驚きや喜びを顔の表情・声・挙動上に不用意に表さない。時にあたって落着いて自然体で振舞える様、日頃から鏡に向って表情トレーニングを重ねる」こと。

 併せて、「当選券の機密・安全・確実な保管方法を前もって準備するが、その際は家族・近親者はもちろんのこと、犬・猫、鼠、ゴキブリ、蚤・虱等からも充分に安全な場所を選定する」こと。

 又、「正月明けは理由を付けて出社はせず、その理由も会社側には当選を悟られない様(部外者とした家族・近親者にも同様)な内容を事前に考えておく」そして、「正月明け最初の銀行営業日には、然るべき みずほ銀行の店舗(近場は避ける、事前に調査選定しておく)に出向いて速やかに当選券の換金手続きを行う」こと。

 尚、「その時家を出るに当たって、隣近所の人と顔を合わさない時刻を選び、止むを得ず会ってしまった場合は話し込まず、目は合わせない。 当選券は海外旅行用の腹巻型の貴重品入れを使い肌身離さずに輸送に当たる」こと。

 更に、「しかるべき みずほ銀行の店舗に着いたら、周囲の客に気付かれない様に来意を告げ、支店長室(間違いなく支店長マターであろう)では取り乱して茶碗をひっくり返したり、たばこを逆さにくわえたりしない様に注意して極々自然体に振舞うが、その時勤め先名等は決して明かしてはならない」こと。
 
 当日は、「賞金を現金化して持ち帰るのは危険が大きいので、一旦はみずほ銀行に口座を設けて預けることとし、後日の運用の為に随時引き出し可能な総合口座とし、その場ではそれ以外の取引には応じない」こと。

 更に、更に、ここからが大事と氏いわく、「賞金○億円が自分のものになった喜びのあまりに、階段から転げ落ちぬように気を付けて支店長室(2階に在る場合が多い)から退出する。そして玄関まで送りに出て来るはずの支店長や行員への鷹揚な挨拶を忘れない様にして銀行を出ることとなるが、振り向きざまにあわてて車道へ踏み出して車などに轢かれない様に充分に気を付ける」こと。

 又々、「帰途に当たっても気を赦すことなく、緊張を持続して真っ直ぐに帰宅する。道端で思わず突然の万歳!をしてしまったり、ニタついて歩くなどの目立つ行動はしない。また喫茶店などに立ち寄って、日頃から一方的に好意を寄せている××子などに電話してみたりは決してしない」こと。
 
 そして、無事家にたどり着いたら、「先ず、誰も来ない部屋に入って鍵を掛けて初めて、転げまわって喜ぶのも好し、泣くのも好しであるが、一通り激情が治まったところで、頬を強くつねって、初夢でない事を今一度確認する。そして、おもむろに、会社を辞める手順と、その後のストーリーの作成を開始する」こと。云、云々・・・・・・・・。
 
 彼には、まだまだ後の話があった様なのですが、既に午後の始業の時間が来てしまい、の場はお開きとなりましたが、 自分の話で高揚したのか彼の瞳がその日の午後中、異様に輝き続けていたのを私は見逃しませんでした。
 
 それにしてもここ十数年間、師走になる度に鏡に向って万歳を我慢したり、笑いを噛みこらえるトレーニングと行動シィミュレーションを繰り返すと言うのも微笑ましさを超えて怖いものがありますが、「未だ一度も実行したことが無いからこそ、来るべき事態に備えてイメージトレーニングと万全の準備が必要なんだ」との彼の主張を否定するつもりはありません。

  宝くじをお買いになって、未だ高額当選の経験の無い方は健康・身の安全の為にもこの超真面目氏のひそみに倣って、早速にイメージトレーニングを始めて見ては如何でしょう。 何、もうやっているって!

’03.12.14.PM 新百合ヶ丘・しおの

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2003年11月 3日 (月)

♠1970年という年【じじぶつぶつ】ホトトギスの花

_4_4   十一月三日は憲法記念日、いいおさんの日、文具の日、レコードの日、ハンカチーフの日、漫画の日、ゴジラの日・・・、そして全国的な“晴れの特異日“ の筈なのですが、 ここ南関東の今日は雲の中、秋時雨。
 
 夏以来この国の異常気象に慣れてしまったカラスが何時もの様に隣のマンションの避雷針の先で縄張りを見張っていましたが、何時迄待っても晴れない濃い霧に業を煮やし(ねぐらへ?)帰って行きました。※写真はクリックで拡大
 
 今日は私と妻との33回目の結婚記念日でちょっとした食事に遠出するつもりでいたのですが、正に晴がましくない天気振りに予定を繰り延べして、“くだんのカラス”に見習い閑居することとしました。所在無いままに昼間から明かりを点けた書斎で机に向かい結婚した1970年を紐解いても見ました。

 第3次佐藤栄作内閣、初の国産衛星「おおすみ」打上、日本万国博覧会の大阪開催、新日鉄発足、日本赤軍「よど号ハイジャック事件」、米ソ戦略核兵器制限交渉開始(SALT)、沖縄・北方対策庁設置、農地法改正(農地移動制限の緩和)公布、日米繊維交渉決裂、日米安保条約自動延長、水俣病告発、光化学スモック発生、田子の浦ヘドロ問題。

 さらに、米国大気汚染防止法(マスキー法)可決、歩行者天国開始まる、アラブ連合ナセル大統領急死、沖縄で国政参加初選挙の実施、三島由紀夫割腹自決、西独/ポーランド国交正常化条約締結、ポーランド食料暴動・ゴムルカ第一書記辞任。

 そして、ウーマンリブ、ハイジャック、ビューティフル、ヘドロ、三無主義、藤圭子「圭子の夢は夜開く」、ソルテイーシュガー「走れコータロー」、菅原洋一「今日でお別れ」、映画 イージーライダー(ピーター・フォンダ)、TV 「時間ですよ」、「細腕繁盛記」

 1970年はざっとこんな年だった様ですが、文字面を辿ってみれば当時と現在とを比較して、経済規模の浮き沈み以外に“なるほど”と納得出来るほどの文化的な進展がさほど有ったとも思えず、「33年も!前のこと」だからと定型的な感慨に耽るのは早計な様です。

 又、吾が身に付いては平成の御世を記念して長年のチェーンスモーカーから脱却してキッパリと禁煙したのがエポックメーキングな最大の成果であり、後は体重が増えて髪の毛は薄くなり・・、当時と比べれば多少分別有りげな風貌に成った?とは言え、この間の質的向上の程に付いてはお話にもなりません。それ故大げさに言えば、これまでの吾が身の半生とは“一体何だったのか?” と閑居して改めて考え始めてしまった午後でした。

◆写真は時雨の合間の近所への散歩で見付けたこの秋遅咲きの“時鳥草(ホトトギス)の花”

2003.11.03 塩野頼秀

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2003年9月20日 (土)

♠昔の写真【じじぶつぶつ】伊勢湾台風と陸上巡視艇

Photo_52 Photo_55 ※写真はクリックすると拡大できます

  「暑さ寒さも彼岸まで」、本日は彼岸の入り、「帰燕」、そういえば我が家のバルコニーをすれすれに架空して盛んに餌を捕っていたツバメの姿も何時の間にか見かけなくなって、近所の土手ではススキの尾花が銀色に波打っています。旨い晩酌など・・・で、秋の夜長を楽しむ季節のいよいよ到来。
 
  この秋は、ススキはどれも小振りで、気が付けば例年、ススキと同じ処に競い合う様にして咲く秋の麒麟草(泡立草)の姿を見かけません。それだけ先の夏が異常であったのでしょうが、そんな気象に決着を付ける心算なのか、やや小型?ながら強い台風15号が列島を窺っている様です。
 
  同じ台風15号で到来時期がそっくりなので、あの忘れもしない「伊勢湾台風」を思い出してしまいました。当時の我が家は被災者であったのですが、古いアルバムに昔の写真を見付けて暫し懐かしい思いに耽りました。

   伊勢湾台風(台風15号)、昭和34年9月26日土曜日夕方、潮岬上陸、最低気圧 959.5hPa、最大風速50m/s、暴風半径500km の超大型台風。進路は潮岬→奈良・重→名古屋→富山→日本海→東北地方→太平洋で、台風の通過と満潮が重なった伊勢湾・三河湾の海岸沿いは観測史上空前の高潮被害が発生して、平成7年の阪神・淡路大震災が起こるまで戦後最大の自然災害だった。死者4,759人、行方不明282人、負傷者38,921人、家屋全壊36,135戸、家屋床上浸水157,858戸、堤防の決壊5,760ヶ所、田畑の流失・埋没30,764ha、船舶沈没2,431隻。

   当時、私の実家は三河湾に面した町にあって、台風の上陸は夜だったのですが、道路わきの溝から海水が吹き上がり始めると間もなく床上浸水、一家揃って取るものも取りあえずに激しい風雨を衝いて坂の上にあった小学校に避難したものでした。一夜明けて家に帰って見ると床上1.5m程の浸水で家の中は泥だらけ、当時の便所はどこも汲み取り式でまさに「味噌も糞も一緒くた」と言った惨状で、その後始末には一家を挙げて2ヶ月ほど掛かったと記憶しています。
 
  写真は、当時有数の鋼鉄製高速巡視艇「あゆち丸」、木造の漁船が殆んどだった湾内では眼を引く存在で、かねてより私の好きな船だったのですが、台風を避けて港内に非難していたものが係留索、錨綱も切れて高潮に乗って上陸、敢え無く座礁して“陸上巡艇”と化してしまいました。 頑丈な鋼鉄製で思ったほどの深手を負わなかったのか、この巡視艇はその後間もなく無事?陸上見物を終えて、再び海に戻り復役した姿を見掛けました。
 
  従来の御影石積の堤防は台風の荒波に抗しきれずに崩れてしまい、この台風被害をきっかけにして、河川・海岸線のコンクリート護岸化が全国的に進んで、我が三河湾も美しかった自然海岸線は失われました。写真は伊勢湾台風以前のナポリばりの自然海岸線。

2003.09.20  頼秀

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2003年4月26日 (土)

♤丸の内~大手町【定点観測】マンホール(その2)

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うむ、正にこれこそ婦警さん用のマンホールに違いない!」きっと騒乱時の機動隊や陸自の活動を支援する為に皇居周辺の交通整理や警備にここから出動するのだ」と二日酔いも手伝って、もはや憶測は妄想に成長、“今朝の大収穫”に先程迄の鬱気分は何処へやら、機嫌よく大手を振って勤め先の門をくぐったのでした
※写真はクリックすると拡大できます
 

その日は一日中、妄想が妄想を呼んでやや興奮状態で、誰かにこのことを話したくてたまりません。しかしそこは還暦越えの年の功「まてまて、早まるな!今朝はなんと言っても体調が悪かったから大事なことを見落として推理に重大な短絡があったかも知れぬ、それに他人に漏らせぬ程の重大な国家機密かも知れぬ故、明朝にもう一度精査した上で慎重に事を運ぼう」と同僚に話すことは思い留まりました。

二日酔いも癒えたあくる朝の定点観測ウォーキングは通常の30分を45分間に延長、路面調査は昨日の日比谷通から丸の内仲通、外堀通に及んで綿密に行われました。加えて、後刻には官庁などの知り合いにそれとなくヒヤリングを重ねて検討の結果、昨日の“今朝の大収穫”事件はあっけなくも解決、次の様な結末を迎えて敢え無く終結を見たのであります。

案の定と言いますか、二日酔いの私の興味を強く引いたこの事件も“遅きに失したエイプリルフール”ではありました。 おわり 

<結末報告>

一般的には馴染の薄いこれらのマンホールの存在は、電柱の無い街、即ちインフラ設備の地中埋設化の進んだ道路で特有な現象と言うことで、正体不明なマンホール達の身元と役割は下記の通りです。

①“いかつい○警印”警視庁の道路信号への電力供給と操作用配線の点検口

②“ちょうど浴衣地にあるような違い格子柄に細ゴシック体で○警”同上、メーカー違い

③“○に桜の花びら印”なんと、同じ桜印に東京都下水道局の文字の有るものが見つかりました。

※蛇足ではありますが、他に不明なマンホールとして“○にK印”があったのですが、これは国道を管理する国土交通省(旧建設省)のもので街燈、交通量把握様センサー等の給電・操作用でした。

2003.04.26 浪漫老翁乱

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2003年4月19日 (土)

♤丸の内~大手町【定点観測】マンホール(その1)

_259_4_016_2_010_2 ※写真はクリックすると拡大できます
 

毎週同じ時間に同じ地域を訪れる定点観測ウオッチングも、前夜に年齢甲斐もなく飲みすぎた二日酔いの朝などは体調も優れず気分もやや鬱気味のままに、地下鉄の長い階段をやっとのことで登って、日比谷公園口からよろよろと這い出るようにしてスタートということもあります。 

そんな朝は、別に悪いことをした訳でもないのですが、知り合いとはあまり顔を合わせたく無いものです。公園入り口の交番の立ち番のお巡りさんの方を見ない様にしてそそくさと日比谷の交差点を渡るのですが、渡った先の日比谷濠には毎朝の様に出迎えてくれるホワイト夫人(こぶ白鳥)が居ると言う訳でここでも心苦しい思いをします。定点観測も何時も、何時も健康的で明るく、気さくに振舞えると言うものではありません。 

そんな或る朝のこと、観測道中は普段と違って下を向いてばかりいたものとみえ、日比谷通りの歩道面に備えられた一般的にはあまり知られていない物の存在に気が付きました。   

それは正体不明なマンホール達です、始めに見付けた年季の入った“いかつい○警印”(添付写真)の場合は何となく、通り過ごしていたのですが、続いて“○に桜の花びら印”のそれ(添付写真)を発見して、ハタ!と思い出したのが、道路越しに皇居周辺を監視しているかの様に日比谷通りに面して建っている丸の内警察署のちょうど真向かい当たりの濠沿いに在る看板に、『この通りは大震災発生時には車両通行が禁止となります 警視庁』(添付写真)と書かれてあることです。                      

そうか!皇居近くでもありここ日比谷通りは特別なんだ、「きっと非常時にはあの“いかつい○警印”のマンホールから警視庁の選りすぐりの機動隊員が、さらに事態が緊迫・重大化する時には“○に桜の花びら印”のマンホールからは陸自の精鋭がそれぞれ地上の騒乱を避けて秘密の地下道を通ってニョキニョキと出動して来るのであろう?と言う重大機密?」に飛躍的ながらも思い当たってしまったのでした。 

更に大手町に差し掛かった所でその憶測を裏付けるかの様な新事実を発見!したからたまりません。それは“ちょうど浴衣地にあるような違い格子柄に細ゴシック体で○警”とあり、ちょっと小首を傾げたところが何とも愛らしく優しい感じのマンホール(添付写真)なのです。つづく

2003.04.19  浪漫老翁乱

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2003年3月22日 (土)

♤丸の内~大手町【定点観測】日本工業倶楽部会館

_085_2_2_011_2_1_144_2_086_2_3_137_088_2 ※写真はクリックすると拡大できます

  この3月7日、千代田区丸の内一丁目4番5・6号に日本工業倶楽部会館ならびに三菱信託本店ビルが竣工、同24日の大安の日に日本工業倶楽部が保存・建替え新装オープンしました。

  私が以前に勤めた企業の当初のオフィスは旧東京住友ビル(現住友信託銀行東京本社ビル)と隣り合った永楽ビル(新三菱信託銀行本店ビルとして今回建替え竣工)との両方に有って、日本工業倶楽部会館の大食堂は地方の取引先経営者の上京の折などの昼食接待などでよく利用したので、取り分け日本工業倶楽部会館の保存・建替えには感慨深いものがありました。

  日本工業倶楽部会館はその当時から既に正面玄関側への不等沈下が始まっており、以前は隣接するビルの側面と重ねて見ることで分った傾きが、数年前には一目で分る程の老朽振りでした。

  旧日本工業倶楽部会館は大正9年(1920年)横河工務所の松井貫太郎が設計した本格的なヨーロッパ・スタイルの社交倶楽部で、屋根のアクセントを除き全体に装飾の少ないシンプルな外観ながら、双柱を配した正面玄関周りの古典的なたたずまいが威厳を醸し出して、大正を象徴する建物の一つでした(添付写真)。

  先日、内部にも入って見ましたが、保存・建替えに当っては日本工業倶楽部と三菱地所とが歴史検討委員会(座長;伊藤滋慶大教授)の提案を受けて、建物正面屋上の鉱夫と織女の彫像(添付写真)と正面玄関の石柱についてはオリジナル材を使って旧ファサードの景観を保全、玄関ホール、大会堂、大食堂(添付写真)等は旧来の外内装を忠実に残すなど、旧館を知る私にも違和感はありませんでした。

  <概要>敷地8,100㎡、延床面積109,700㎡(倶楽部13,100㎡、信託銀行96,600㎡)、地下4階・地上30階・塔屋1階、最高高さ148m、容積率(特定街区制度の活用)1,234%。 ※三菱信託銀行本店ビルは現在テナント工事中でオープンは5月の予定と聞く。おわり

2003.03.22 浪漫老翁乱

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♠展望看板【じじぶつぶつ】丹沢山塊と富士

_002_4_027_5 ※写真はクリックすると拡大できます  

南西に向いた我が家の窓からは、北西から西に架けて武甲山、雲取山、鷹巣山、三頭山、近くには山伏信仰で知られる高尾山(標高599m、我が家からの距離23km)などの奥多摩山塊が、西南西から南西に架けては遠く富士の高嶺を覗かせた丹沢山塊が、南南西には箱根の山々と更にその南に伊豆半島の最高峰天城山(万三郎岳1,406m、95km)が望めます。

この写真には写っていないのですが、真西は多摩ニュータウンの丘陵越えに津久井湖、相模湖、そして相模川上流の桂川が造る谷沿いに大月市、甲府市へ向かう国道20号線の方角に当たります。近くには遮る山は無くその低みを通して、ごく澄んだ冬晴れの朝には遠く南アルプスの塩見岳(3,047m、120km)や農鳥岳(3,026m、114km)の山頂を伺い見ることが出来ます。丹沢の山塊は、我が家からの視界をこの真西の低みから立ち上がって南西に架けて約30度の幅で占めています。

画面の右端奥の山頂は山中湖から津久井湖に流れる道志川沿いに在る道志川温泉の北面を成す菜畑山(1,283m、46km)です。丹沢山塊の始まりはその左手の焼山(案内図には記入が無いが菜畑山を左へ辿った次のピーク)からで、左(南)に向かって、黍穀山、袖平山、富士山頂(3,776m、75km)の左下に見える蛭ケ岳(1,673m、36km)、中央鉄塔当たりに丹沢山、左に塔の岳、行者岳、三の塔と連なって、丹沢南端のしんがりに控えし(左手の森の上の小高い山頂)は大山講(大山阿夫利神社)で有名な丹沢の名峰 相州大山(又の名を雨降山、1,252m、30km)です。

 又、左手の鉄塔の当たりが箱根の明神ヶ岳(1,169m、55km)、鉄塔の左が同じ箱根の神山(1,438m、60km)、駒ケ岳(1,327m、61km)です。写真は2003年3月9日早朝の薄雪化粧の丹沢山塊、下の案内図は近所の公園の我が家と同じ方角を望む案内看板を撮ったものです。 おわり

2003.03.22 痴恵歩夫

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2003年3月16日 (日)

♤丸の内~大手町【定点観測】スモーカー

_005_2_1_058_3 ※写真はクリックすると拡大できます  

 「路上禁煙地区内での路上喫煙・歩行喫煙 は過料、ポイ捨ては過料、著しいポイ捨ては過料に加えて公表」・・・これは去年9月可決、10月1日施行の日本初の東京都千代田区の罰則付き路上禁煙条例の概要である。

 路上禁煙地区に指定されたのは、秋葉原、神田(大手町)、御茶ノ水、水道橋、飯田橋、市谷、有楽町、靖国通りの8ヶ所、違反した場合の最高過料は二万円(当分の間は二千円)というもの。過料の徴収は昨11月1日からとされ「10月の1ヶ月間、50人の指導員による注意・指導件数は7000件以上に登り、これは年間の罰金徴ペースで1億7千万円に当たる」と報道されたが、その後の推移がどの様だったかは分からない。 

 私も断煙して早や16年経った。かつてはマイルドセブンとはいえ日に40本以上のむことも珍しくないヘビースモーカーだったが、最近は遠くからタバコの煙を嗅ぎつけ喫煙中の歩行者を避けて歩くことも多くなった・・・変われば、変わるものである。

 そんな訳で今度の千代田区の措置は今の私には大歓迎なのである。しかし最近は、オフィスではもちろん、駅・ホームやその他の公共空間でも禁煙・分煙を強いられ、差別・いじめに近い措置との議論もあるという。 とは言え、今や“たばこ”は法定伝染病原菌に指定されたものの如く絶滅化への拍車がかかったようで、Smokerにとってはやりきれない時代の到来といえよう。

 そして、この3月には世界保健機関(WHO)の「たばこ規制枠組み条約」(案)の審議が進み、たばこ規制(広告の原則禁止、重課税化など)に向けて国際的合意が形成されそうである。

 日本は現在、賃金と比べた たばこの価格が世界最低水準、成人男子の喫煙率5割は先進国の中での最高水準で、たばこ自販機の数62万9千台は世界最高で米国の4倍。たばこによる健康被害は年間推計値10万人の死者と1兆3千億円の医療費など、世界有数のたばこ大国であって規制を強化せざるを得ないことも理解できようと言うものだ。

 写真は大手町の歩道に描かれた千代田区の歩きタバコ、ポイ捨て禁止マークと、今年になって新装オープンした大手町サンケイビルの広々とした客寄せポーチに早速やって来たJTの「負けないぞ!喫煙奨励キャンペーン」?の“スモーカー”の早朝準備風景。

2003.03.15  浪漫老翁乱

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2003年3月15日 (土)

♠昔の写真【じじぶつぶつ】タイガー計算機

Jishu12_175_2_5Photo_16 ※写真はクリックすると拡大できます  

 3月15日土曜日「曇りのち小雨で肌寒い一日」との予報。なかなか冬を振り切れない仲春の候、昨日の朝は駅への歩道の街路樹の“こぶし”の中でも毎年“い”の一番に咲き始める樹に、ほころび始めたつぼみを幾つか見つけた。きっとこの雨の後には咲いて春の到来を宣言するのであろう。

 さて、モールス信号、真空管6球スーパーヘテロダイン受信機、蒸気機関車→電気機関車→湘南形電車(前回、前々回)とくれば、次はタイガー計算機、この名が一般名詞なのかどうかは知らないが、こう呼んでいたような記憶がある。

 “ガラガラ”と“グリグリ”を足して2で割った様な音色と確かな手応え、回し過ぎて“チン”戻して“チン”、そしてそのズシリと腕の付け根にまで来る重量感、学生時代から勤め始めの頃まで、計算尺(写真)と共に身近に使っていた所為か未だにその感触を体が忘れられない。
 
 又、同じ頃のオフィスでは、今のファクシミリに相当するものはテレックスであった。送られてきた電気信号がテープに穿孔され、そのテープを端末の自動タイプライターで文字に置き換えるもの(送信はその逆)です。勤め先は輸入商事部門もありましたから、テレックス機が四六時中、オフィスの片隅でカタカタと海外からのテープを吐き出していたことが昨日の様に思い出される。 
 
 最後は、写真(左)の機械式自動巻き防水目覚まし腕時計「SEIKO.BELL-MATIC.27JEWELS.」私が20代後半~30歳代後半の間に日本中を駆け回る様にしてモーレツに働いていた頃の毎日、毎日24時間を共に過ごした謂わば優れ物。

 腕の動きで分銅が回りゼンマイを巻き、指定した時間になれば小さなハンマーが内蔵の鐘を鳴らす、これらに通常の時計機能を加えて、頑丈なステンレス製の防水ケースに納めたものである。信頼性が高く何時も腕に巻いて愛用していました。動かなくなった時にはクオーツ化が進み、同様な機械式時計はもう手に入らず写真(右)の「SEIKO.KING-QUARTZ(ダブルクオーツ)」に買い換えました。これも正確・頑丈で酷使・愛用しましたが10年程前に故障したまま直しておりません。
 
 先の機械式腕時計は棄て難かったとみえて先日、引き出しの奥から出てきたところを懐かしさの余り写真に撮ったのですが、付いたままになっていたその頃流行ったアルミのカレンダーベルトと時計の日付・曜日表示板によって、止ったのが「1979年9月2日の日曜日」であると分かって思わずホロリと来た。

 モールス信号、真空管6球スーパーヘテロダイン受信機、C62蒸気機関車→EF58形電気機関車、計算尺・タイガー計算機、テレックス、機械式自動巻き防水目覚まし腕時計と“六題話し”でしたが、20世紀を象徴するようなハードウエアの劇的な革新を身近に体験した年代に、丁度、自分が巡り合せていたのだなーと今更ながら感慨深いものが有った。

2003.03.15 塩野頼秀

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2003年3月 8日 (土)

♠昔の写真【じじぶつぶつ】EF58型電気機関車

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 3月8日(土曜日)昨夜までの寒い雨も上がって、拙宅から望む薄っすらと雪化粧の丹沢山塊と遠く富士山の雪が朝日に映えて眩いばかりの晴天、正に「光の春」の到来か。愛知以西の西日本はエルニーニョの影響で暖冬だったようであるが、ここ南関東はやっと春めいて来たこの頃である。
 
 写真は中学~高校通学当時の東海道本線の最新鋭電気機関車EF58型。中学校に通い始めた頃の東海道本線はまだ電化されていなく、客貨共に列車で蒸気機関車の牽引でした。その後間もなく電化されて写真のEF58型電気機関車の牽引に変わりカッコいいと思ったものである。 当時の列車への乗り降りは車両の両端に設けられた乗降デッキからで、混んでもいないのに車内に入らずにわざわざデッキで友達と風に吹かれて通学したものであった。
 
 最後尾にツバメのマークの付いた展望デッキ車を連結した当時国鉄自慢の看板長距離列車「ツバメ号」の牽引も、当時、日本最大・最強・最速の蒸気機関車C-62形からこの新鋭電気機関車へと私達の目の前で変わった。

 そして高校通学時代には、グリーンの車体にオレンジの帯、あのカラフルな80系湘南電車が導入され、それまでに乗り慣れた小豆色の車両とは大きく異なる外観や窓の大きな明るい室内と初めての自動ドア、それにも増してその名の醸し出す“憧れの大都会の雰囲気”を乗る度にうれしく感受したものである。

 そんな頃、私の手元に転がり込んできたのが写真の取っ手、当時は壁も床も木製だった客用列車両の上げ下ろし式木製窓の“開閉ラッチ”です。何故?私に転がり込んできたのかは記憶に無く、乗り合わした座席にでも落ちていたのか、はたまた、外れたがっていたのを持ち前の親切心から手助けしたものかは今となっては分からない。

 とにかく先日、昔のものを整理中に在らぬところからヒョッコリと何十年ぶりかに出てきて、その真鍮(黄銅)製のずしりと重い一品を見て思わず“パチリ”とやったものがこの写真です。昔の道具・部品は作り手が偲ばれ、実に立派で上等である。

2003.03.08 塩野頼秀

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2003年2月22日 (土)

♤丸の内~大手町【定点観測】新丸の内ビルディング

_038_5_141_3 ※写真はクリックすると拡大できます

 新装成った丸の内ビルディング(去年8月竣工、9月にオープン)は、最近の「4ヶ月余りで来場者数一千万人を突破!」など、その繁盛振りを伝えるマスコミの報道などでこのところよく話題に上る。

 私の先日の定点観測ウォーキングは朝からピカピカの晴天を良いことに日比谷通りから迂回、東京駅前から朝陽に映える今評判のその勇姿を撮ってきた。旧丸ビルの写真とほぼ同じ所からのショットが撮れたので新旧の違い(似通い)が良く分かる。

 私が勤め始めた頃のオフィスは旧東京住友ビル(現住友信託銀行東京本社)や隣り合った永楽ビル(現在日本工業クラブと一緒に建替え中)の両方に有った。当時は社員食堂のメニューに飽きては昼食遠征と称して、新・旧丸ビルや東京ステーションホテル、時には皇居外苑の観光食堂まで足を伸ばしたものである。
 
 中でも、二日酔いの日や食欲のない日の昼食に度々食し、今でもその味が忘れられないのが当時の旧丸ビルに在った今は無き 竹葉亭の“マグ茶”(まぐろ茶浸)であった。ビジネスランチ客の“うなぎ”のテーブルの脇で、「始は“漬けマグロ”で一膳、間に奈良漬けポリポリ、そのあと徐に茶漬けでもう一膳」これが当時、竹葉亭が薦める“マグ茶”の由緒正しい?摂食作法であった。

  竹葉亭の“マグ茶”と来れば、触れざるを得ないのがお隣り新丸ビルに未だ健在な築地錦水の“鯛茶漬”これも大変に美味しいのであるが、当然ながら極サッパリ味で、同じ二日酔い族でも年寄りはこちらに往っていた様である。

 竹葉亭が在ったのは郵船ビル側の1階の角であったが丸の内仲通り側の並びには、旧丸ビル竣工当時からの“大正ロマン漂う味と内装”のライスカレーやスパゲッティー、フライ等の洋定食店が軒を連ねていて、こちらの方も時に利用したものであった。

 しかし、新築成った高い賃貸料に耐えられないものか、これらの懐かしい店々が新装丸ビルの商業テナント140店の中に一軒も入っていないのは少し寂しい思いがしています。

 この丸の内ビルディング建替え以前は通称“旧丸ビル”(大正12年竣工)と呼ばれていたのですが、お隣の新丸の内ビルディング(通称“新丸ビル”昭和27年竣工)より新しくなってしまい、一寸ややこしい事になったものである。

2003.02.22 浪漫老翁乱  

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2003年2月17日 (月)

♠昔話【じじぶつぶつ】6球スパーヘテロダイン受信機

_2_8Jishu12_104_2_1_2_11 ※写真はクリックすると拡大できます 

 三寒四温のこの頃とは言え昨日も銀座では雪がちらつき、ここ南関東は雪を見る機会の多い何年ぶりかの冬である。 さて、このところ拙宅で物入などを整理しているのだが、すっかり忘れていた古い物が出てきたりして・・・、そんな時、感慨深く思い出したことを一筆。
 
 「伊藤、路上歩行、ハーモニカ、入費増加、報告、屁、特等席・・・(トンツー、トンツートンツー、ツートントントン、ツートンツートン、ツートントン、トン、トントンツートントン・・・)」これはモールス信号の「い、ろ、は、に、ほ、へ、と・・・」です。高校2年生の頃誰が持ち込んで教えたのか?、これがモールス信号の海軍式記憶術だそうで、「へ=屁」と言うところが気に入ったのか、始めのところだけはまだ憶えていました。ちなみにSOSは、トントントン、ツーツーツー、トントントンです、もはや殆んど使われていない(?)通信手段。そう云えば、昔、郵便局へ行くと電報のデスクに打鍵(写真)と通信手がいたものである。
 
 写真は、同じ頃にラジオの理屈が良く解らないままに見よう見まねで組み立てて、当時、一応自慢にしていた「真空管式6球スパーヘテロダイン受信機」(確かこう呼んでいたと思うが?)である。庭中にアンテナを張り巡らせて、日本国中の長短波は元より、地球の裏側まで世界中の短波放送を受信しようと深夜まで四苦八苦・一喜一憂していた頃を懐かしく思い出した。間もなく真空管に取って代わり急速に普及したダイオードーは当時の超ハイテク機材で高嶺の花、とても高校生の手に入る代物ではなく、もっぱら真空管利用で米軍払い下げ品などを漁ったりしたものであった。
 
 写真のカードは1958年、学校祭を記念して物理クラブが発行した、私のデザインによる「無線通信の受信証」、無線家(局)との通信の後で、受信機材・アンテナ装備を披瀝して互いに発行し合う受信証明で、より遠くの局との交信や交信数を誇ったった証なのである。
 当時、アマチュア無線の資格が認められたこともあって、校内でもにラジオ作りや無線通信が流行って、物理クラブの一員だった私も今にして思えば不得手な分野にもかかわらず影響・刺激を受けて付和雷同、この種のことにしばらく夢中に取り組んだものであった。 

2003.02.17  頼秀

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2003年2月 3日 (月)

♤丸の内~大手町【定点観測】日比谷濠のホワイト夫人

_089_3_038_4_121_2 ※写真はクリックすると拡大できます

 私は、週3日ほど鎌倉橋脇のOFFICEに勤めているのですが、今年から出勤日には早起きして千代田線を日比谷駅で降りて、二重橋前、大手町の二駅強の距離をアチコチ眺めながら、ぶらぶらと30分程歩いて通うことにした。私が昔、勤め始めた頃十数年の職場は丸の内でした。今再び二十数年振りにこの地を定期的に訪れることとなって、街並みに大きな変化があったとはいえ、日々感無量なものが有る。

 写真は、1週間ほど前の寒い朝、日比谷通りを馬場先濠沿いに歩きながら撮ったもの。皇居の濠には、定住者の白鳥の他に、幾種類かの雁や、遠めにはカモメと思しき鳥を含め数種類の水鳥がいるようだ。中でもこの季節に(だけ?)数も多く幅をきかしているのは、黒と白模様(シャチの様ですが)の雁キンクロハジロで未だ人通りもまだ少ない早朝は食事時なのか餌を求めて、濠端を歩く私を目掛けて大勢で水を切って押し寄せてきます。
 餌と言えば、「餌をやらないでください」のお願い板から程遠くない場所で水鳥に餌を与えている人を先日見ましたが、写真の美しい白鳥も餌を貰えると思うのか、私が通ると何時も大急ぎで寄ってきます。そして、そばまで来て餌を貰えない人だと分かると、間違えた自分に腹を立てるのか「チィッ」と舌打ちするのが聞こえるかの様にソッポを向きます。私が「お濠一の美人ホワイト夫人」に嫌われるのもそう遠いことではない様である。

 濠端沿いの並木は柳の木、水面から視線を移して見上げたビルを背景にしてその新芽に陽が射していました、寒い夜を耐えて温かい陽の光を待ち焦がれていたのであろう。

2003.02.03 浪漫老翁乱

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2003年1月31日 (金)

♠昔の写真【じじぶつぶつ】遠足

Jishu12_043_1Jishu12_079_1 ※写真はクリックすると拡大できます

 当時、遠足は文字通り徒歩で行くもの、写真は潮見浜への遠足風景。手前(近景)に松ノ木を大きく配して、潮見の浜辺を望んだ一葉は当時の私の好み(絵画的構図?)が出ているようである。同じ手法で撮ったもう一葉、近景の裸足で渚を歩く二人の乙女(当時)が誰であったかもかつては判っていたはずですが、今はもう思い起こせない。

 当時の私はネガが6cm×6cmのブローニー判の2眼レフカメラ(リコーフレックス)を父に買って貰い写真に凝っていた。写真の趣味はまだまだ費用が高くついたこともあって、フイルム代の節約とその目新しさ・かっこよさ(映画のシネラマ風)から、カメラに半裁アダプターを取り付けて、今で言うパノラマ写真を盛んに撮っていました。大学進学後はあまり写真を撮ることもなくなって当時のネガも何所かへいってしまい、焼付けてアルバムに残した僅かなものを頼りに昔を思い起こしているこの頃である。

2003.01.31  頼秀

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